以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 98 号 (2008.11.26 刊) からの抜粋引用です。

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今回のメルマガでは、1) 「北岡泰典新著『一瞬で新しい自分になる30の方法』 Amazon 特別購入キャンペーン」、2) 「日本 NLP 協会の第一期プラクティショナー コース」情報、3) 「どれだけモデリングしてもモデリングしきれないものは何か?」についての考察、および 4) 「観照者についての考察」情報について発信させていただきます。

1) 北岡泰典新著『一瞬で新しい自分になる30の方法』 Amazon 特別購入キャンペーン

月末にダイヤモンド社から出版される、私の二冊目の著書となる『一瞬で新しい自分になる30の方法』の出版を記念して、「Amazon 特別購入キャンペーン」を開くことにしました。

キャンペーン内容は以下のとおりです。

1) キャンペーン期間は、11 月 30 日午前 7 時 ~ 12 月 1 日午前 7 時の限定期間になります。

2) この期間内に、Amazon ページから本書を購入していただいた方に複数の特典を差し上げます。キャンペーン特典申し込みサイトは以下にあります。

http://www.kitaokataiten.com/stressfree/amazon/

3) 無料で提供される特別特典は、以下のとおりです。

I) 北岡泰典が書き下ろしで書いたエッセイ (PDF ファイル) をダウンロードできる権利。 (期間限定のダウンロード用のパスワード付き URL をお送りします。)

エッセイの内容は、以下のようになる予定です。

「本当は言いたくない NLP の秘伝の秘を特別購入していただけたあなただけに教えます!」
「本には書かれていない NLP 実践のコツとノウハウ」
「北岡が個人実践してきた NLP 演習で、どのように北岡が蟻地獄から抜け出すことに成功したか?」
「NLP 演習はどのように機能するのか? どのように人は変わるのか?」

(実際の内容は、上記の予告と変わる可能性もあります。あらかじめご了承ください。)

II) 出版特別ワークショップへの無料ご招待

北岡は、以前吉祥寺のニューロカフェで行ったように、ワークショップ参加者の一人をその場でピックアップして、その場で問題を聞き、それに合った NLP テクニック (今回の新著にある 30 のテクニックの一つになります) を、アドリブで決めて、その NLP テクニック演習を現場で紹介する、という「北岡ライブ ジャム セッション ワークショップ シリーズ」 (仮称) の開催を計画しています。

キャンペーン中に Amazon ページから本書を購入していただいた方を、このワークショップ (1 回分) に無料招待いたします。

なお、有効期間は、2008 年 12 月 1 日から 1 年間限定とします。

III) 日本 NLP 協会開催の北岡泰典ワークショップ オフチケット

北岡は、現在、日本 NLP 協会で NLP プラクティショナー資格コースを開催していますが、今後その資格コースのための紹介ワークショップその他を同協会主催で開催する予定です。

本キャンペーン中に Amazon ページから本書を購入していただいた方に、日本 NLP 協会開催の北岡泰典ワークショップに対する 1,500 円分相当のオフチケットを差し上げます。

この「オフチケット」は、A) Amazon 購入時の注文番号 (例: 249-4079885-1234567) B)ご本人の氏名 C) ご本人に送信される本 Amazon キャンペーン記録登録通し番号を記載したオフィス北岡からのメールのプリントアウト コピーが代用されることになります。

なお、有効期間は、2008 年 12 月 1 日から 1 年間限定とします。

以上三つの「Amazon 特別購入キャンペーン」特別特典に興味のある方は、以下のページにある「Amazon 特別購入キャンペーンの説明」に従って、お申し込みください。

http://www.kitaokataiten.com/stressfree/amazon/

なお、出版社の方からは、Amazon の方に、当日、本書の特別キャンペーンが行われることが伝えられているので、当日、在庫は充分あるはずです。

キャンペーン前日に、もう一度、本メルマガの「特別告知号」を発行して、「リマインド」告知をさせていただきます。

2) 日本 NLP 協会の第一期プラクティショナー コース始まる!

先週末、日本 NLP 協会の第一期プラクティショナー コースが始まりました。

私には、非常に中身の濃いワークになったと思いますが、ある参加者が mixi 日記にその報告をしていますので、以下に引用させていただきたいと思いました。

(この内容は、http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1003857645&owner_id=17347538 にアップロードされています。)

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タイトル: 北岡先生「NLPプラクティショナー」

今回は特に自己満足的日記ですみません。 (それだけいつも以上に素直に書いています)

22日(土)23日(土)の2日間、日本NLP協会の北岡泰典先生による、NLPプラクティショナーコースが始まり、参加してきました。

今日の朝起きたら、 頭の脳が膨らんで頭蓋骨を押しているというか、脳内の神経回路がいつもの数十倍めまぐるしく活動しているというか、とにかく頭がボーーっとして上の空。

きっとあまりにも刺激を受けていたからだと思いますし、先生のいつもの、愛情あるという前提でみんなを混乱させているという効果だと思います。

他の参加者の仲間のみなさん達はどうなんだろう?

いまもとても書ける状態でないけど、書いておきたくて書いてます。

この2日間は濃すぎて、とても、日記という形でまとめられなくて、書いたとしても、ものすごくものすごく長い文章になってしまうと思うのですが、なんとかこれでもまとめて書いてみます。

まず、参加者の仲間達のすごさに超うれしい驚きでした。

この短期間の告知でどうしてこんなに集まるんだと思いました。そして、ずっとこのときを待っていたという僕と同じ人が多くてしかも、かなりのコミットメントで参加されている。レベルの高い、それもNLP的だけでなく、特に個性という観点ですごい方たちでした。

それは会場に入った直後に肌で少しそう感じてました。

個性というものをこれほど尊重するのはめったにないです。

みなさん同じコースに参加していながら、感じ方が全く個性的でみなさんが先生にする質問に過剰に反応していたと思います。

僕だけでなく、ある方が質問すると、会場が一体となって、みんなの脳内がぐわぁぁーって活発化して答えを探そうとしたりしているのを感じましたし、常に先生や仲間達をお互いにカリブレーションしてすべてを見落とすまいと五感をフル稼働させているその一体感たるや最高でした。

別れが惜しくて、週末にセミナーで平日は毎日一緒にワークを練習する学校だったらなぁ~。それだったら、僕はすべての私財を捨ててでも参加するなって思うほど素晴らしい集まり・仲間達でした。

僕は本当に幸せものです。

協会のみなさんも素晴らしく、相当に意識が高い方かつとてもそれぞれの役割に長けた方々で、今後の発展を確信しました。

そして北岡先生はやはり凄すぎですね。このコースは12日間ですが、1日中しゃべりまくって、しかもみんなの恐ろしいほど深い質問に、それ以上に深く柔軟に答え、それでいて、おそらく数々の技法を無意識的有機的に用いて、僕らを上手に混乱もさせ、納得もさせ、そこの根底には愛がある。

セミナー中でも飲み会でもさりげない一言で、深く深く覚醒を促していただいているような感覚もあります。

参加者のすごさにいつも以上に張り切って会場を自由に飛びまわっておられました。

学んだことは、たくさんありますが、僕的に印象に残ったのは、問題の解決において、NLP的には原因はどうでもよく、どのように問題が起きているか、に着目するべし!

何度も聞いていたのに、やっと気付きました。

まだ理解は浅いですが、確かに問題の原因はこの世に無限に存在しえるかもしれなくて、どのように問題が起きているかに着目するほうが問題を表出する五感(VAKO)に絞られて効率もよいという捉え方もあるなぁ~と思いました。

また、僕はとにかくあらゆるものを「すごい」って肯定化してすぐに信じちゃう傾向にありますが、みなさん、自分の感覚を尊重して、自分の腑に落ちるということを重要視して、言動されていて、高いお金払って参加しているのにNLPをいきなり否定することから始める方もいて、深く感銘を受けました。

ある方は、NLP諸前提ワークをしたあとに、とても自分が最高の状態で、かなり興奮して「今すぐに服を脱いでもいいくらいです。がぁーー」っておっしゃっていましたが、正直同感でよーーくわかりました。

NLPは恐ろしいくらいによく効くと実感しました。

久々お会いした仲間もおられました。以前お会いしたのが今年の3月ですが、「雰囲気が変わられましたね」と肯定的に言っていただき、(これが一番うれしかったかも)自分の今年の3月からの日記を見返していましたが、最初は本当に見ていて痛々しいくらいで、恥ずかしい限りです。これからもっともっと進んでいくとはいえ、よくここまで来たなぁ~って自分をちょっと褒めたくなりました。

ある方には「この先のマスターもトレーナーコースも一緒に受ける仲間だ」とのお言葉をいただきジーンときました。お互い同じ思いだと気付くということは嬉しいものです。

参加しながら、同時に超動的なセラピーを受けているとも取れるかもしれません。

でもやっぱりまだまだ僕は未熟もので、周りから影響受けて、反応して、それが思い込みが過ぎて変なことして、みなさんに教えていただいて、混乱して、反省して、みなさんに助けてもらって、立ち直る。 それの繰り返しでした。

まだまだ観察していながらも、全く周りが見えていないトランスに入ってしまっている僕に対して、あたたかく接してくれたみなさんに感謝です。

先生にはまた、僕の無意識に浸透する言葉をたくさんいただき、参加者のみなさんも僕にも、これからぐっと伸びるよと信頼していただけていることも感じて、さらに、がんばろーって感じです。

あと10日もあります。練習会や第二モジュールが楽しみでなりません。

自分が変わっていくことにも期待してます。

みなさんありがとうございました。これからも本当によろしくです。

これでも思っていることが全然書ききれませんでしたが、長い文書を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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3) どれだけモデリングしてもモデリングしきれないものは何か?

最近の私の吉祥寺でのワークで興味深いことが起こったので、報告します。

私は、このワークでは、ある方をデモ演習に呼んで、「6 ステップ リフレーミング」の簡易バージョンである「(無意識シグナルを使った) 内なる医師」テクニック (これは、最近のグリンダー氏の NEW コード NLP の一部のテクニックです) を紹介しましたが、この方の問題は「喫煙」でした。この行動の「高次の目的」を特定したとき、ご本人は、首尾一貫性の (非言語的) サインを出されていなかったのですが、私は、そのままデモを続け、新しい代替行動を 3 つ作ってもらった後、これらを受け入れられますか、と聞いたら、ご本人は「わからない」とおっしゃったので、この時点で、私は、「煙草を吸い続けるということも、4 番目の代替選択肢として考えられませんか」と聞いたら、やっと首尾一貫性の (非言語的) サインを出されたので、そのまま演習を続行して、ワークを「無事」終了させました。

(通常、私は、問題の内容に関する詳細を本人に聞かずに演習する場合がありますが、今回は、ご本人の許可を得て、内容を開示していただきました。

また、通常、私は、以下に引用する理由をもとに、問題の高次の目的も、それを満たす新しい代替選択肢の内容も、すべてクライアントの無意識に任せて、意識的には気づかせないまま演習を続けます。

「ちなみに、『いつのまにか自分の知らないうちに行動変容が起こっている』ということこそ、私が最も重要視している『療法的』効果です。このことについては、ジョン グリンダー氏も『意識化される自己変容の過程は、特定の狭いエリアだけに限定されてしまう一方で、無意識的に起こる自己変容の過程は、(意識的な限定の制約を受けないので) 非常に幅広いエリアまでその効果がますます波及していく傾向があります』という旨のことを国内の講義中におっしゃっていたことがあります。(劇的な) 一時的な効果ではなく、永続的な肯定的変化を達成して、ますます自己成長が加速していくことが、NLP の本道的なあり方である、というのが私の意見です。」 (メルマガ『これが本物のNLPだ!」第 81 号より引用)

しかし、今回のケースでは、クライアントの方が「ええ、無意識ちゃんが特定してくれた高次の目的もなんとなくわかりますし、3 つの代替選択肢について、一つ一つについて無意識ちゃんは、自然の光景のイメージを送ってきています」とおっしゃったので、私は、「そうですね、無意識ちゃんが教えてくれるのであれば、それはそれでいいことです」と言いながら、セッションを続けました。)

このワークの後、ある参加者の方が「今のワークを見ていて、私であれば、(標準の演習手順の進行とおりには進んでいないので) 当初の該当の問題を処理することは中座して、他の問題に切り替えたと思いますが、なぜ先生は、(なかなか手順進行が難しそうになってきている) 当初の問題に固執したのですか?」という質問をされました (私は、これは、なかなかいい質問だと思いました)。

これについては、私は、「確かに、おっしゃっている選択肢ももちろんありましたが (このときに他の選択肢を選ばなかった理由は、いったん選んだ難題を最後までやりきるのが私の身上であることと、また、実際のクライアントのカリブレーションに基づいて、私なりの無意識的有能性的な判断をした、ということだったと思いますが、これらの理由は、このとき実際には明示化しませんでした)、おそらく『天からの指令』で、当初のやり方に固執したのだと思います」と答えしておきました。

振り返るに、グリンダー氏は、最近の国内のワーク中で、グレゴリー ベイツンやミルトン H エリクソンのような天才が、プリゼンまたはセッションをしている最中になぜそのとき当人が選んだ行動選択肢を選んだのか、を特定できることが彼らのモデリングにおいて最重要なことであると示唆し、しかしながら、それを特定するためにこのような天才をビデオ カメラで撮影したとしても、一台のカメラでは絶対無理で、その場にいる聴衆全員が映せるような複数のカメラが必要となってくる、なぜならば、このようなプリゼンターが選んだ特定の行動選択肢は、参加者の誰かのある特定の瞬間の (無意識的な) 反応に「逆反応」した上で選ばれていたかもしれないので、そのようなループの両方の当事者間の「相互呼応」を記録できないかぎり、なぜある瞬間に特定の行動選択肢が選ばれるかの特定は不可能でしょう、と付言されました (ただ、私には、個人的には、下に述べるような理由から、会場のプリゼンターと聴衆のすべての人を撮影できてしている状況でも、このような特定は、究極的には不可能なように思えます)。

私のこのセッションについて特に問題にしたいことは、6 ステップ リフレーミングの演習自体にしろ、その演習を構成している、ラポール技法、カリブレーション技法、無意識シグナルの確立法、無意識とのコミュニケーション法、空間ソーティングにおける付箋紙を通じた空間アンカーリングのし方、エコロジーチェックの取り方といった各構成要素にしろ、一つ一つのテクニックは、「無意識的有能性」のレベルに達するまで、左脳的に何も考えることなく、体感覚的に落とし込まれるまで徹底的に機械的に練習する必要がある、という点です。この練習を通じて、すべての学習内容がチャンク化されて、そのチャンク内容が、コンピュータでファイルをハードディスクに保存するときのファイルのように、(いっさい変更されない形で) 「最終化」された後であれば、(今回の私のセッションで起こったように) その複数の下位チャンクの関連づけを標準手順ではない形に「かってに」変更したり、あるいは、手順そのものを割愛したりすることが可能になります。(ただし、このような「禁じ手」は、下位チャンクの内容と標準的な複数のチャンクの関連づけ手順が「最終化 (= 無意識化)」されていないときに行うことは、いわば「自殺的」行為であることは言わずもがなです。)

このことについては、私は、11 月末に発行される私の自著『一瞬で新しい自分になる30の方法』 (ダイヤモンド社刊) の 150 ページの「北岡式アメリカンクラッカーモデル」セクションで以下のように述べています (草稿の段階での引用なので、正式の引用とは若干異なるかもしれません)。

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著者は、「北岡式アメリカンクラッカーモデル」というモデルを開発しました。

通常、論理的な左脳と直感的な右脳の効率的、効果的な使い分けのし方はされていませんが、著者の理解によると、以下のことがわかりました。

まず、次ページの図を見てください。

(中略) 前ページの楕円系の袋の一つ一つがチャンクです。

前項の英語の例を続けて使うと、一番小さなチャンクに「at」や「school」等の単語が入っています。

この一番下のチャンクレベルでは、左脳的、論理的な学習はあまり意味をなさず、「at」や「school」等の単語は、反復的に、機械的に、体感覚的に(すなわち、右脳的に)学習する必要があります。つまり、なぜ「skhool」ではなく「school」なのか、なぜ「schoool」ではないのか、といった論理的な疑問をはさむ余地はありません。

ただ、いったん、「school」をチャンク化してしまうと、中身は関係なくなり単一の情報「X」として処理できようになります。これが「一つのチャンクとして単語にアクセスすることは、コンピュータのデスクトップでショートカットアイコンをクリックして、たとえばWordのファイルを立ち上げるようなものです」と言った意味です。

いったん単語をチャンク化すると、その後に論的な左脳学習が可能になります。

言い換えれば、一番下のチャンクダウンのレベルで何も意識的に考えずに正しい単語のスペルができるように自動化されていれば、そこから一つチャンクアップして、単語Aと単語Bの組み合わせだけに全意識を集中することができるようになります。

この「句(または熟語)」レベルでは、たとえば「at school」(チャンク数は二つです)は「授業中」を意味して、「at the school」(チャンク数は三つです)というふうに定冠詞がつけば「校舎で」と、場所を表す違いがあることを学習することができます(この際、「school」の単語のスペルがあっているかどうかに神経がいくようであれば、二つまたは三つのチャンクとしてこれらの句を処理することはできません)。

この句レベルで「at school(授業中)」は「X」、「at the school(校舎で)」は「Y」であるというふうに「袋化」(「チャンク化」)して自動化できれば、その句自体が一つのチャンクとなります。そうすれば、もう一つチャンクレベルをあがって、「I am X」(すなわち「I am at school」)は「私は授業中です」であり、「I am Y」(すなわち「I am at the school」)は「私は学校の校舎にいます」である、といった節レベルの操作も可能になります。

この際、「at school」と「at the school」の違いは何であったかに対して神経が注がれるようでは、これらの節がもつ意味の違いをうまく処理することはできません。

このように、まず、最下位のチャンクレベルの単語の自動的なチャンク化をした後、句レベルでのチャンク化、節レベルでのチャンク化ができるようになれば、次に、さまざまなレベルでのチャンクを自由自在に組み合わせられるようにもなります。

 このような「右脳学習による情報のチャンク化→左脳による複数のチャンクの有機的組み合わせ→そのチャンクの組み合わせの右脳学習による一つの情報へのチャンク化」の繰り返しを表したのが「北岡式アメリカンクラッカーモデル」図です。

この図式は、英語の学習だけでなく、ありとあらゆる分野の学習にも当てはまります。

以上のような「北岡式アメリカンクラッカーモデル」に基づいたものの考え方を身に付けることができたら、勉強のし方がわからないというストレスの問題を軽減することができます。

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上記の説明の「右脳的、帰納的学習/ブラックボックス」が上記の「ファイルの最終化」のことで、「左脳的、演繹的学習/『統語的』関連づけ」が「標準手順の恣意的な変更または割愛」です。

ここで、クリエイティブな人々 (「クリエータ」) のクリエイティビティは、「右脳的、帰納的学習」のレベルから生まれるはずはなく、「左脳的、演繹的学習」のレベルでしか生まれないのは自明のことです。下位のチャンクの中の内容がしっかりしているからこそ、上位レベルでのチャンクの関連づけのちょっとした標準手順からの逸脱が、予期しない産物をクリエイティブな形で生み出すことになります。

ところで、このようなクリエイティブな人々のモデリングについては、一番下位のチャンクとその関連づけを「法則化」、明示化することはできたとしても、その「クリエイティビティのすべて」をモデリングすることはそもそも不可能なように私には思えます。

なぜならば、たとえもし下位レベルでの「左脳的、演繹的学習/『統語的』関連づけ」のモデリングが可能であったとしても、そのクリエータ本人は、常に、その左脳的、演繹的、「統語的」に関連づけられたものをチャンク化して、さらに高いレベルで別のチャンクと関連づけて、常に新しいものを創造し続ける「自由」をもち続けているからです。

このことは、「ボックスから出ること」、「リフレーミングし続けること」と形容してもいいと思いますが、このようにモデリングされた手順を「常に超えて」いくクリエータの頭の中で起こっていることをその最初のモデリングされた手順でカバーすることは、論理的に不可能です。

ところで、以上のことに関連して、リチャード バンドラーは、その最新刊本で「才能は、神から与えられた恩寵ではありません。その一部が恩寵であるだけです」と述べています。その「一部の恩寵」は、どれだけ緻密なモデリングをし続けても「そこから漏れてしまう何か (= 神秘)」であるように、私には思えます。

以上のことは、いくつかの意味合いをもっています。

1) 以上のことにより、ベイツンやエリクソンのような天才のプリゼンまたはセッションの完全モデリングは不可能だと思われます。彼らのように「常にボックスから外に出る」ことのできる人々は、外的刺激だけでなく、内的刺激にも反応していて、かつ、自分で意識的、無意識的にそれらの刺激にいつどのように反応するか、あるいは、そもそも反応すること自体を止めておくかどうか、についてほぼ「自由気ままに遊んでいる」ので、そのような究極的に微細なマインドの動きを完全にマッピングすることは、NLP 的方法論でさえ常識化していないこの人類の歴史の時点では不可能と言わざるをえません。

2) 私は、ベイツンやエリクソンのような天才ではありませんが、しかし、私の (ある特定の時間と場所で、ある特定の参加者を前にして行われる) ワークのやり方をマニュアル化すれば、私のワークのモデリング化と標準化ができ、かつ他の多くのトレーナーにそのやり方を伝えることができるのでは、という考えも (巷に) あるようですが、同様な理由でこのことは不可能だと思います。

さらに、ある特定の時間と場所で、ある特定の参加者を前にして行われた私のワークは、そのときに私が「アドリブで行うライブ セッション」であり、同じものは二度と繰り返されないことも、追加の理由となります。

3) ここに、「水平的学習者 (一を聞いても一しかわからない人)」と「垂直的学習者 (一を聞くと十わかる人)」の差異があるとも言えます。(水平的学習と垂直学習の違いについては本メルマガの 第 68 号または北岡著『5文型とNLPで英語はどんどん上達する』 172 ページの「一を知って十を知る学習法」セクションを参照してください。)

ちなみに、「ボックスの外に出る」ための訓練の一環として、できるだけ多くの (質のいい、および質の悪い) トレーナーを実際に見聞きして、できるだけ多くの「参照機構」を増やすことが最重要だと私は考えます。

私自身、過去、数多くの NLP と催眠のトレーナーのワークショップに参加して、最終的に NLP 四天王に行きついたわけですが、この 4 人に関しては、ワークショップの参加者の後ろの方から何十時間、何百時間にわたって目に穴が開くほど観察を続けました。

ですので、「北岡先生からだけしか NLP トレーニングを受けていないことが私のとりえで、大きな誇りに思っています」と言っている方もいらっしゃると聞きましたが、私は、このような発言は非常に不適切で、危険だと思います。なぜならば、どのようにして私のトレーニングしか受けたことのない人に私のトレーニングのすごさ (もしすごさがあるとしたらですが) とひどさがわかるのでしょうか? 私には、それは不可能のように思えます。

ということで、実は、このことは初めて「カミング アウト」しますが、私のプロフィール経歴を読んだ方で「若い頃サハラ砂漠にいたそうですが、どこかの御曹司ですか?」と質問されたこともありますが、事実はそうではなく、私は、「普通の家」の生まれで、若い頃、そのような場所で稼いだお金をすべて自分の「自己成長」のための先行投資に費やしただけの人間です。

長年にわたって英国に滞在していたときも、NLP 四天王その他のトレーニングを受けることに対して多額の先行投資を続け、(この部分がカミング アウトですが)、実は、現在も、英国のクレジット カード会社等に対して百万円単位の借金が続いているほどです。(欧米で生活された方はご存知だとも思いますが、欧米のクレジットカードは、使用キャッシュ限度額がたとえば X 百万円と設定されていたとしたら、毎月数万円程度の利子+αだけを返済していけばよく、借り入れ額は毎月少しづつ減っていくだけです。私の場合も、ずいぶん前に先行投資用に借り入れた限度額一杯に対して、毎月ほぼ利子だけを払い続けてきています。この意味で、原則的に「翌月一括返済」の日本のクレジットカード システムは、本来あるべきクレジットカードの機能からはずいぶん逸脱してしまっていると思います。)

この背景をもとに、ある方に「たとえば、もし仮に私のワークが本当にいいと思うのであれば、個人的には、借金をしてでも出るべきだと考えますよ」と (私としては、非常に正直に) 助言したことがありますが、この方は、もちろん、私のこの状況を知らなかったので、「そういうふうなことを言う先生に初めて会いました」と (必ずしも否定的ではありませんでしたが) おっしゃっていました。

もちろん、この私の助言は、「あることに対してコミットメントすることの極めて重要な意味合いを最重要視している」私自身のスタンスからしか来ていないことは、読者の方にも理解していただけるものと理解しています。

なお、上記のモデリングの論議は、「分析的 (意識的、左脳的) モデリング」に基づいた論議であり、グリンダー氏が主張する「NLP (無意識的、右脳的) モデリング」には基づいていないことを付記しておく必要があります。

以上の文章を書いた後、私は、あることに関して、「灯台下暗し」的な閃きをもったので、以下に追記に報告します。

すなわち、上記で説明している、ある特定の内容の右脳的な「チャンク化」にしても、それらのチャンクの左脳的な演繹的関連づけにしても、「ショートカット」を作るという意味では、これらはすべて、「アンカーリング構築」、「プログラミング化」、「パータン化」に他ならない作業です (「チャンク化 = アンカーリング」という単純図式は、個人的には、非常に興味深いと思います)。

この意味で、「ボックスの外に出る」ということは、すなわち、それがいかなるボックスであっても、そのボックスのアンカーリング、プログラミング、パターニングを「解除」するということなので、私のように、英国滞在時代に、7 年間にわたって、毎日 10 個程度の NLP テクニック演習を行い続けて、その上で、自分のすべての「アンフィニシュド ビジネス (未解決の問題)」すなわちアンカーリングを解除できた人間が、自由自在に、どのようなボックスから外に出ることも可能になるのは、ある意味では、当然なことです。その「ボックスからの外への出方」をパターン化した手順だけを学習し、身につけたとしても、アンカーリング、プログラミング、パターニングを解除する努力を試行錯誤的にしてきていない人が、結局はボックスから出ることができずに終わるであろうことは、しごく自明です。

4) 観照者についての考察

同じく、最近の私の吉祥寺でのワーク参加者と行ったメール交信の中で、興味深いことを私が書いたので以下に引用させてください。

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NLP を実践的に学び、自分の人生をさらに豊かにしていく際に、「現在意識 (4Te) と過去意識 (4Ti) を切り替えている人 (= 観照者) は誰か?」、「部外者意識と当事者意識を切り替えている人は誰か?」、「『VAKOG』を (通常、普通はできませんが、NLP 的訓練によって) 自由自在に行き来しているのは誰か?」といった質問が非常に重要なキーワードになると思います。

おそらく死ぬときまで自分自身に対して継続的に尋ね続ける必要性のあるであろう、これらの「実存的」、「本体論的」な質問は、8 世紀の偉大なるインド人哲学者シャンカラチャリヤの最大命題の「アートマン=ブラーマン自己同一性」を、最先端現代心理学の観点から、そもそも「瞑想とは何か?」という命題をも含ませる形で、しかも、左脳と右脳との両方の体験を統合させる形で、実体験的に考察させることを可能にする、「空恐ろしい」質問だと、私は個人的に考えています。

おそらく、(現代バージョンの) 「究極の禅公案」と言ってもまったく過言ではないでしょう。

いずれにしても、NLP 共同創始者の二人 (特に「唯物論者」のように思えるグリンダー氏) は、NLP 創始時に「無意識的」には「観照者」 (NLP で言う「メタ」) のポジションに抜けていたことは間違いないですが (この抜け方は、おそらく当時 70 年代初頭のカリフォルニア サンフランシスコ (NLP 発祥の地のサンタクルーズは SF のごく近くです) を中心に西海岸を席巻していたカウンター カルチャーの一部であったドラッグ カルチャーの手段を使ってであっただろう、ということは容易に想像できます。また、(たとえ無意識的であったとしても) 「観照者」のポジションに抜けることなくして、どのようにして、「現在意識 (4Te) と過去意識 (4Ti)」や「部外者意識と当事者意識」の区別を発見できたり、「VAKOG」を自由自在に行き来できたり、さらには、人類史上 (地球ができて約 60 億年ですが) 過去誰も関連づけることができなかった「内的に視覚的イメージをもつ=上方を見る=『私にはよく見える』といった視覚的叙述語を使う」という関連づけができたり (もし、グリンダーとバンドラーがこの発見をしなければ、人類は今後さらに何十億年もこの情報を知らないまま過ごすことになったことでしょう) できるでしょうか? そのようなことは論理的に絶対不可能です)、このあたりの、NLP 共同創始者が (おそらく無意識的に) 達成しえた「絶対的な革命性」を、NLP をさらに広い哲学的、認識論的背景に照らし合わせながら、考察し、明示化していくことが、私にしかできない使命と考えて、過去 30 年間 NLP その他の学問を研究、実践してきています。

作成 2024/1/3