以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 95 号 (2008.8.27 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「北岡泰典『ブラッシュアップトレーナーズトレーニング』コース再考」情報についてがカバーされています。

1) 北岡泰典「ブラッシュアップトレーナーズトレーニング」コース再考

2008 年 8 月 11 日から 16 日まで大阪ワールド ユー アカデミーで開催された北岡泰典「ブラッシュアップトレーナーズトレーニング」コース (Creativity Enhancement Ltd 主催) が無事終了しました。

このコースについての報告は、本メルマガの前号で行っていますが、本コースについて、以下のような追加記載事項があります (A から C までの三点です)。

A) コース参加後感想がもう一つ送られてきましたので、以下に紹介しておきます。

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Y.K. さん (トレーナー)

『本物が今、目の前にいる!!』

北岡先生の「トレーナーズ トレーニング コース」に参加しての感想を一言で表すとするのであれば、この一言に尽きるのかもしれません。

私は今まで数多くのNLPトレーナーに出会ってきました。そしてその中には名の通った著名な先生方も何人かいらっしゃいました。皆さんとても偉大な先生方ばかりで、私が批評することは出来ませんが、ただひとつだけ言えることがあります。それは北岡先生が伝えているNLPと他の先生方が伝えているNLPとは全く次元が違うということ。

それを氷山で例えるのであれば、水面上に表出されている部分だけを伝えているのが多くのNLPトレーナーであり、そして水面上はもちろん水面下にまで広がる、より広大で全体性をもった氷山全体を伝えているのが北岡先生であると表現できるかもしれません。

「NLPとは『目覚め、自己変革をもたらすもの』であり、『自らを自分自身のセラピストに変えるもの』である。」これは北岡先生がコース中に口にした言葉です。それに対し多くのNLPトレーナは「NLPとはコミュニケーションツール、あるいはビジネスツールである。」と表現しています。

それぞれNLPを通して得たいものがあると思いますので、どちらが良い悪いを述べるつもりはありませんが、NLPが持つ可能性の大きさを真に理解し、伝えていけるトレーナーが国内にもたくさん誕生していくことを心から願っています。

北岡先生こそ本物!!そしてその本物の血を受け継いだ私達も、自分自身を磨きあげ本物のNLPを伝えていきたいと思います。6日間、どうもありがとうございました。

私達も、北岡先生のように『想いを持ったNLPトレーナー』を目指して行きます。

B) 今回の私のトレーナーズトレーニング コースでの私自身のトレーニング スタイルでおそらく最も顕著な特徴となったのは、トレーニング内容のプリゼンについてはほぼ完全に「無意識ちゃん」に任せ、その間意識的にはコース参加者全体の反応をカリブレートしていく点ではなかったかと思います。

この点について、かなり深く熟考してみましたが、いろいろな点が判明しました。

まず、一点目は、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏が国内のトレーナーズ トレーニング コースで語っていたことと関連しています。

すなわち、同氏は、過去に「諜報機関」の一員として当時の東ドイツで働いていたことがある、とのことですが、その際、同氏は、ドイツ人がしゃべっていることを、意味がわからないまま、そのまま鸚鵡返しに言い返し、同時に笑みを絶やさないでいることで、出会うドイツ人全員とラポールが取れ、相手が笑みを絶やさずにドイツ語をしゃべり続けてくれたことに驚いたそうです。

また、グリンダー氏は、若い頃自他ともにチョムスキーの後継者の言語学者として認められていた、ということですが (NLP を創始することで、そのキャリアを棒に振ったわけですが)、ある時期、チョムスキーの変形生成文法の「樹形図」について研究している際、自分と話をしている相手の学生がしゃべっている間、そのしゃべっている英語の内容がすべてその学生の顔の前で樹形図として変形され、視覚化 (= 幻覚化) できるように自己訓練したそうです。そうすると、どの学生と話しても、学生のしゃべっている内容の意味はいっさい聴覚的に理解できずにいる一方で、ただただその顔の前に、リアルタイムで変化し続ける樹形図だけが見える状態だったそうです。(これはもちろん、「共感覚」と呼ばれる現象ですが。)

この二つのグリンダー氏の経験は、人間は、相手とコミュニケーションしているとき、まったくそのコミュニケーション内容は無視して、プロセスだけに気をつけている (= カリブレートする) ことができる、ということを証明しています。

実は、なぜ NLP の最初のテクニックとして「メタモデル」テクニックが生まれたか、そして、最近グリンダー氏が簡易メタモデルとして「バーバル パッケージ」を重要テクニックとして提唱しているかというと、これらのテクニックは、まったく内容にはよらない、形式だけに依存した口頭テクニックであって、これらのテクニックを完全に無意識的に使えるようにしておく (= 「無意識的有能化」) と、相手には「ごく普通の口頭コミュニケーション」のように「見える」言葉のやり取りを続けつつも、同時に継続的に、(意識的には) 相手の顔の表情、手振り、身振り、呼吸速度といった非口頭的反応をカリブレートし続けていくことができるという利点があるからです。

(コミュニケーション相手の話の内容を理解するためには、「必然的」に 4Ti に入らざるをえない一方で、カリブレーションは 4Te 以外には機能的に「絶対」不可能であるという厳然たる事実を改めて考慮すると、上の最後の段落に含まれている意味合いは、深すぎると思います。)

私自身の「トレーニング内容のプリゼンについてはほぼ完全に無意識ちゃんに任せ、その間意識的には参加者全体の反応をカリブレートしていく」スタイルは、以上のことに基づいていると、結論づけることができます。

さらに、このトピックは、前号のメルマガで書いた以下の点とも密接に関係しています。

「特に、『限りない自己同一化解除が、そして頭が真っ白になるようなノウ・ナッシング・ステートが、すばらしいトレーナーを作ると語るメタ・トレーナーは、現代日本にはいまのところ北岡先生しかおられないのではないでしょうか』という感想については、この点を私自身が私のワークの中で明示化したのは、今回が初めてです。(中略)

さらに、仮にプリゼン時に『頭が真っ白になるようなノウ・ナッシング・ステート』になったとして、その瞬間に即ナノ秒以内に、『無意識ちゃんの必要な各パーツがすべてをテイクオーバーできるように自己訓練 (= なんと『無意識的有能化』のことです!) ができている』かぎりにおいて、 そのような『真っ白な頭』は、むしろ、自分自身の最高のパフォーマンスを発揮するための最大の『必要条件』である (なぜなら、その際に最も必要とされているのは、まさしく、意識的介入の全面的排除そのものなので!)、といった、極度に逆説的で、極めて気違いじみた発言をしているのは、確かに、日本広しと言えども、私だけのようにも思えます (大笑)。」

二点目に判明したことは、私のトレーナーズ トレーニング コース中に自分自身が自己モデリングした点です。

すなわち、コース中に、何度か参加者から「先生の講義に関しては、事前に用意されたスクリプトはないのですか?」という質問を受け、そのたびに私は「そんなものはありません。あるのは、(実際にコース概要を示したメモ用紙を参加者の方々に見せながら) ここに記載されているように、午前と午後の講義内容の二、三のトピック名だけです」と答えさせていただきました。

この質疑応答の際に自己モデリングしていてわかったことは、私のトレーニング スタイルは、あらかじめ何をしゃべろうとする意図はまったくなく、言ってみれば、頭の中のモニター上のデスクトップにいくつかのトピックとしてのフォルダ アイコンがあって、その日の午前または午後の講義が始まった瞬間、講義の進行上必要なフォルダをクリックして開き、参加者全体のカリブレーションの結果に基づいて、そのフォルダ内にある複数のファイル (= 講義項目の詳細) のうちその瞬間にもっとも適切と思われるファイルをクリックするということでした。

このコースのその場その場のカリブレーション後にその際にもっとも適切なファイル アイコンを瞬時にクリックする作業までは、いわば意識的に行われますが、いったん該当のファイルが開いてしまうと、私の場合は、無意識がファイルの冒頭から末尾まで「ほぼ棒読み状態」で内容を読み上げ続けることになります。このため、いったんファイルが開いた後に私がしゃべる内容は、いつどこでしゃべってもほぼ逐語的に同じであることに驚くコース参加者の方もいらっしゃいます (どこで何を間違えて覚えているかも、何を言い間違えるかも、毎回毎回ほぼ同じです!)。

さらに、無意識がファイル内容を棒読みしている間、私は、意識的には、コース参加者全体のカリブレーションをし続け、その結果に応じて、(通常は意識的に) 「パターン中断」を行うために、すでに開いているフォルダ内の他のファイル アイコン、もしくは他のフォルダ内の他のファイルアイコン (後者のアイコンにアクセスするためには、通常は、現在のフォルダより上位の階層のフォルダにいったん出て、そこからたとえば下位の他のフォルダに移動したりする必要がありますが、仮に元のフォルダの中に他のフォルダに即移動できる「ショートカット」フォルダ アイコンを置いておけば、この面倒なフォルダ移動の作業なしに、階層の他の部分にあるフォルダに瞬時に移動できます!) をクリックして、開くことで、一つ目の「ネスティッド ループ」を開き、この時点で、私の無意識によるファイル内容の棒読みが始まります。この際に、さらなるカリブレーションの結果再度のパターン中断が必要と感じれば、同じ要領で、他のフォルダに飛んでもう一つ小さな「ネスティッド ループ」を開く、という作業を繰り返えされます。最後に、すべての「ネスティッド ループ」を順次閉じていって (無意識が棒読みしていたファイルを閉じていって)、元のフォルダまで戻り、その講義トピックを終了する、というプロセスが繰り返されることになります。

この「無意識のファイル内容の棒読み」に関しては、まず、ファイル内容がしっかりしている必要があります。私の場合は、本メルマガ、私のワークのマニュアルを始めとして左脳内容が豊富にありますが、やはり、講義内容を予め何らかの形で執筆しておくことが必須になると思います。

また、私は、常々、チャンク化する内容は、英語のスペルと同様に、自分の主観を入れる余地なしに、「いっさいぶれない」ように「最終化 (ファイナライズ)」した上で頭の中のコンピュータ ハードディスクに保存する必要がある、この「最終化」ができていないとチャンク階層の上部で下部にある複数の小チャンクを (英語の統語を構成する場合のように) 有機的に結びつけることは不可能である (なぜならば、最終化されていないチャンク内の内容を正すことに意識的注意が払われて、本来は「コンテンツ フリー」であるべきチャンクどうしを決してうまく組み合わせることができなくなるからです)、と主張していますが、 私の「無意識のファイル内容の棒読み」法は、このメカニズムを如実に反映しています。

ちなみに、最近、NHK 教育テレビの高校美術講座の番組である美術家が「プロセスとは『作りかけ』のことだ」という意味のことを発言していて、はたと閃きました。

つまり、「内容」とは、本来は、すべて最終化されたチャンクの中身のことで、「プロセス」とは、その最終化したチャンクの中身を組み合わせて、より高次のチャンクを最終化するまでの「作りかけの過程」のことではないか、という閃きです。

この閃きの妥当性については、今後も認識論的な検討を加え続けてみたいですが、なかなか興味深い観点だと、私には思えます。

なお、トレーナーズ トレーニング コースでも発言しましたが、NLP ピアの中には、内容はいつまでたっても内容であり続け、プロセス (または文脈) はいつまでたってもプロセス (または文脈) であり続けるというふうに、完全な誤解をしている人も多いようです。

真実は、ある内容は、高次のプロセスにとっては内容であっても、その内容より低次の内容にとってはプロセスになります。同様に高次のプロセスも、さらに高次のプロセスにとっては内容となります。この、プロセスと内容が「串刺し」のように綿々とつながっていくメカニズムは、アーサー ケスラー著の『ホロン革命』で詳しく解説されています。

三点目に判明したことは、私のプリゼン法は、私がコンピュータでタイプしながら、日本語や英語を書くプロセスと極似している、という点です。

私が初めてタイプライターに接したのは、80 年代初頭、大学卒業直後のサハラ砂漠でフランス語通訳をしているときで、当時は、オリヴェッティ式のタイプライターで、もちろん、冒頭から末尾まで「線状」的にしかフランス語をタイプできず、後から、タイプし終えたある文章のある部分を膨らますために副詞節や副詞句、形容詞節や形容詞句を付け加えることは不可能でした。

その後、英国に住み始めた後、90 年代初頭にワープロが市場に出回り (私のお気に入りは東芝のルポでした)、この時点から、すでに書き上げた文章 (当時は日本語と英語でした) に後からほぼ自由自在に修飾節、修飾句だけでなく、新たな (修飾) 文も追加できるようになりました。

このプロセスは、私が大学当時長文だらけのプルーストの大著『失われた時を求めて』を原文のフランス語で読むために行った「完全統語的分析」のまさにリバース作業でしかないと言えます。

さらに、このことは、私のトレーニング スタイルそのものです。すなわち、私は、講義の当日、講義前に考えることは、その日に教えるべき大本となる一つの簡単な「文」 (比喩的な意味です) だけです。その後、コース会場に行って、参加者の全体をカリブレートして、必要に応じて、自由自在にその文に修飾節を付け加えたり、修飾句を付け加え続けます。

その間、常に念頭にあるのは大本の最初の文だけで、どの枝にどの小枝を付け加えていくかは、その場で決定されるので、事前にその講義内容を予測することは、私を含めて、誰にもできません。

このとき、小枝と枝の内容は、私の無意識によるファイルの棒読みで、ファイルの中身は常に同一ですが、全体的にどのような複雑な樹木が創作されるかは、毎回毎回異なったものになります。そして、私のこの作業を制約するのは、与えられている時間の長さだけです。

四点目に判明したことは、個人的に興味があることですが、この樹木に枝葉をつけていく作業と関係があります。

私は、統語的にほぼ完全な英語の文章を書ける自信をもっていますが、ときどき頭が疲れていて、ほぼ入眠時催眠状態で英語を書くと、中学生レベルの稚拙な文章になってしまうことに驚いたことが何度かありました。

このことは、おそらく「意識的に習得」した枝葉の追加作業は、高次の脳 (皮質?) で行われているので、その部分の機能が著しく低下したときは、低次のもっとも基本的な脳が司っている作業内容しか顕在化されないように思われます。

以上のような私のトレーニング スタイルに興味があって、まだそれを経験したことがない方は、下記で紹介している「特別限定北岡 NLP ワークショップ」に参加されるよう推奨いたします。

(ちなみに、私の講義中の16 秒間の動画が YouTube にアップロードされているようです。私の「お茶目」な面が見られます。

http://jp.youtube.com/watch?v=uYxZkWg3Sk0 )

C) 今回のトレーナーズ トレーニング コースの私の報告について、ある方からメールをいただき、この方とメール交信をしたのですが、興味深い点もありましたので、以下に私のメール内容の一部を引用してみたいと思います。(トレーナーズ トレーニング コースそのものからは話題が外れているとは思いますが。)

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今回の貴メールには、

> なぜなら、心身症状(きついうつ状態やトラウマのフラッシュバック)
> が出ていてとても苦しいからです。

> このような状態になる前の、とても苦しい身体症状やフラッシュバックに関して
> とある精神科医に次のように尋ねてみました。

> フラッシュバック(制限的アンカリングの突発的発動)があるうちは
> 何をしようにも、身動きが取れなくなってしまいますから。

というふうに「フラッシュバック」がキーワードとして頻繁に現れていますが、これについては、私の場合、「自分自身のボックスから出る前」のフラッシュバックは「地獄」のようでしたが、「自分自身のボックスから出た後」のフラッシュバックは、究極的に肯定的な体験状態しか出てこないようになっていますね。

このことについては、私は、自分のワーク中で、よく、エレベータ恐怖症の人がどのエレベータに乗っても一定の「天才的反応」 (= パニック) を首尾一貫して示せるのは、イチローがアメリカのどの球場にいてもコンスタントに一定数のヒットを打てる天才性と同じです、と言ってきていますよね。

すなわち、グリンダーとバンドラーは、シンドラー製であれ、オーティス製であれ、日立製であれ、三菱製であれ、東芝製であれ、さらには、国内であれ、中国であれ、サハラ砂漠であれ、アマゾンであれ、北極であれ、とにかく一定の形をした鉄製の箱に入ったとたん、間違いなく、首尾一貫性して、ある一定の同じ行動パターン (パニックですが) を何十年も発揮し続けられるということは、野球でいうイチローの天才性とまったく変わらない、ただ前者の行動パターンは非建設的、非生産的である一方で、後者は建設的、生産的である、と結論づけたわけです。

ということは、今まで自分の意思とは裏腹に思わずデスクトップのショートカットを押し続けていた (= フラッシュバック) としたら、そのショートカット先のファイルを書き換えるだけで (あるいは、ファイルを書き換えるかわりに、ただ、ショートカットのデスティネーション (ディレクトリ名) を変えて、他のファイルを立ち上げさせるだけで)、自分のほしい状態にしかアクセスできなくなる (!) ということなので、フラッシュバックのある人は、みごとな「隠れ天才」ですね。

ここに、過去左脳的「究極の耳年増」だった私が右脳的「神秘主義者」に変容したプロセスが示されていると思います。

ということなのですが、

> 北岡先生は、トラウマ解放・解消・統合の際のご経験の詳細を語られ
> ておられないように思いますが、北岡先生も、何らかの形でこのような
> 「神経生理的・身体的な激しい好転反応」もご経験されたのではない
> でしょうか?
>
> もしそうであれば、そういったご経験も是非NLPerにお聞かせ願いたい
> と思いますが、
>
> いかがでしょうか。
>
> もしそういったことがなかったのであれば、
> どのようにして回避したのか、是非ご教示いただければと思います。

この貴コメントにつきましては、「コンテンツ」になるので、私は語らない志向性がありますが、確かに「過去左脳的『究極の耳年増』だった私が右脳的『神秘主義者』に変容したプロセス」には、「神経生理的・身体的な激しい好転反応」がバシバシあったと思います。

ところで、今なお、私はある個人編集テクニックを頭の中で続けまくっていますが、その度に「大きな溜息」が出て、その後は、その「(トラウマ的) 体験」は自分には二度とやってこないという意味においては、今なお私は「神経生理的・身体的な激しい好転反応」を経験し続けているのだと思います。

作成 2023/12/31