以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 82 号 (2008.2.28 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「1. 前 NLP 的セラピーと NLP の決定的な違い」、「2. NLP には即効性はないのか?」、「3. 1 = ∞ – (∞ – 1)」 を中心にお伝えします。


1. 前 NLP 的セラピーと NLP の決定的な違い

本メルマガの前号の最後の二項目「5. 日本の NLP は、本当は「NLP の手法を使った前 NLP」なのか?」と「6. スマートな NLP vs バタ臭いセラピー」では、日本の多くの NLP 団体の手法はコンテントばりばりの「NLP と呼ばれている手法を使った前 NLP 的コンテント志向セラピー」である傾向が強く、このような「バタ臭いセラピー」はコンテントフリーの「スマートな NLP」と一線を画すべきものであることが指摘されました。

このことと関連して、最近、私の知人が「北岡先生、おそらくフリッツ パールズ式のゲシュタルト セラピーと NLP との最大の違いは、後者には『観察者としてのメタのポジション』があり、ゲシュタルトにはそれがないことではないでしょうか?」というふうに、私にはこれ以上的を得た見方がないと思えるほどのコメントを私にくださいました。

これは私にとっては「灯台下暗し」的な新しい「盲点」のような視点でしたが、確かに前号で紹介した「The Century of the Self」という TV ドキュメンタリー番組ビデオをに出てくる実際のフリッツ パールズのセッション風景を見ても、パールズは、クライアントに二つ (あるいはそれ以上) の知覚ポジションを行き来させはしても、あえてもう一つの「メタ」のポジションにクライアントを立たせることはしていません (というか、パールズにはこのことに思い至ることはできなかったと思います)。

数多く 存在する NLP のいわゆる「個人編集テクニック」演習の大部分は「知覚ポジション変更」を関与させていて、この手法は、間違いなく、パールズの「空の椅子」の前 NLP 的な手法を踏襲したものですが、その手法に「メタ ポジション」を導入した NLP は、まさに、このことによって完全に (それ以前のコンテント志向の現代心理療法すべては決別する) 「量子的飛躍」を遂げたのだ、と形容することができるでしょう。

ところで、この「メタ ポジション」は私が翻訳したグリンダー & ディロージャ著の『個人的天才になるための必要条件』にも出てくる「ゲーデルの不完全性理論」とも関係してきます。同著には以下のような記載があります。

「ケン・キーシー (『カッコーの巣の上で』を著したビートニクス ジェネレーションの作家) がアリゾナのウィンスローで立っていて、カリフォルニアに戻るためにヒッチハイクしているとします。ほとんど継続的に維持される変性意識の中で、彼は自分の環境を知覚していて、サボテンの花、明るい青空、二酸化炭素、速度を落すトラック等の内的表出を抱いています...数時間後、彼は、乗せてくれる車を待つことに疲れ、 (知覚レベルで車またはトラックだけに注意を払う)知覚の環境から分離して、メタポジションに移行します。彼は論理レベルを上に移動し、このことで、それまでは完全にコミットしていた表出が、今抱いている新しい表出の部分集合になります。たとえば、彼は、町角の実際の物理的な場所の背後上方のポジションから鳥瞰図のように自分自身を知覚している場合もあります。彼がこのことを行うやいなや、彼は枠を拡大します。彼がメタ ポジションに移動する前にコミットしていた表出は依然として存在していますが、規模が小さくなり、詳細度が曖昧になり、おそらく自分のいる町の区域、ウィンスロー全体、アリゾナ州、米国南西部といった、 さらに大きな表出の集合に含有されています。論理レベルの移動の一つ一つは、表出に含まれている範囲を拡大しますが、その一方で詳細度が曖昧になります。(…) キーシーが町角に立っている自分を見ているとき、表出者の含蓄されたポジションは、物理的には、町角にいるキーシーのイメージの背後上方です。ここに問題が発生します。ここで、キーシーを論理レベル一つ移動して、町角でキーシーを表出しているポジション、つまり町角のポジションの背後上方のポジションに移すとします。この時点で、この表出には表出者のメタポジション移動その1を含む表出が含まれている、という意味で、最初のメタポジション移動に関して完全な表出をしているキーシーがいます。 しかしながら、このことは、物理的な位置が新しい種類の表出によって含蓄されるが、表出はされていない二番目のメタポジションが作り出されてしまうことで達成されます。このため、どれだけ多くのメタポジション移動を使ったとしても、この問題は再帰的に発生します。」

(同著 161 ページからの引用。ただし、このテキストは、最終稿ではなく草稿段階のバージョンを使っています。)

すなわち、世界を知覚している表出者自身も含めた世界を表出するためには、その人の知覚世界から一歩出て「メタ」のポジションに抜ける必要が絶対あり、この表出者を表出対象に加えるためには、その視点からまた再度メタに抜ける必要がある、ということが無限に起こる必要があるということになります。

もちろん、このメタに出るという行為は「ボックスから外に出る」という行為と密接に関係があり、さらに、私が本メルマガで何度も言及してきている「抜け出しようもない蟻地獄からの脱出法」ともつながっています。

『個人的天才になるための必要条件』の原題は『Turtles All The Way Down (どんどん下に重なっていく無数の亀)』ですが、このタイトルは、メタ ポジションの永遠の「後退」 (もしくは「前進」) のことを意味していると私は考えています。

このような「革命的、奇跡的方法」が、NLP のモデルによってすでに論理的に明示化されているという事実は、私は、ほぼ宗教的な、「神を見た」ほどの畏怖を覚えずにはいられません。

実際、インターネット検索すると、『ゲーデルの哲学』書の書評として「あなたが矛盾しないことをあなたは証明できない―人間の理性に限界があることを証明し、神の存在証明をも行った『アリストテレス以来の天才』」とあります。つまり、NLP の「メタポジション」は、このゲーデルの理論を「実際に体感覚的に経験」させてくれる方法ということになります。


2. NLP には即効性はないのか?

同じく、本メルマガの前号には、「国内のセラピストやカウンセラーで、(特に無意識を扱うニューコード NLP のような) NLP 的な『いつのまにか自分の知らないうちに行動変容が起こっている』という効果よりも、劇的な、情緒的な変化をクライアントの中に求める人が多いという話も聞きました」、「[私は] 永続的変化を生み出すような NLP ワークを、今後も続けていきたいと思っています」といった記載がありましたが、これらの言及は、前 NLP 的方法論は即効性がある一方で、NLP は即効的ではない、という印象を与えるかもしれません。

事実は、NLP は、NLP を初めて学ぶ人々には「劇的な変化」をもたらすことは間違いない一方で、新しく獲得した行動パターンを永続化させるためには「それなり」の「反復練習」が必要になってくることにあります。

このことについては、私は本メルマガの第 5 号で以下のように書かせていただいています。

「興味深いことに、低いレベルで学習で大きな進歩を果たすことは、まったく努力が不必要ではないにしても比較的に容易である一方で、高いレベルで極微の学習進歩を果たすことは極めて難しいことであるように思われます。たとえば、初心者のテニス プレーヤーが飛躍的な学習進歩 (たとえば、学習全体の比率で言って、0% から 60% までの進歩) を遂げるために必要な量と同じ量の努力とエネルギーが、その人がトップのテニス プレーヤーになる (たとえば、99% から 99.9% までの進歩) ために必要になるようにも思われます。(…)

私自身の経験では、上記のような学習初心者にも上級者にも、同じ NLP テクニックが学習加速の効果を発揮することが確認されています。」

つまり、ここでいう「初心者の 0% から 60% までの学習の進歩」が上記の「劇的な変化」に対応し、「上級者の99% から 99.9% までの学習の進歩」が「永続的変化の定着」に対応しています。(なお、ここでは、「劇的な変化」と「永続的変化の定着」のいずれの場合でも、基本的な NLP 演習を反復的に遂行していく必要性が含蓄されています。)


3. 1 = ∞ – (∞ – 1)

この公式は、私が以前私の資格コースで教えていたもので、また最近、再度教え始めました。(「∞」の記号は「無限」の意味です。)

この公式が成り立つことは自明ですが、この公式に NLP のモデルである「4T (4 タップル)」を組み合わせると以下のようになります。(4T についてはオンライン参照可能の本メルマガ第 10 号の「FAQ 32: 『4 タップル』とは何ですか?」を参照してください。)

4T1 = 4T∞ – (4T∞ – 4T1)

この公式の意味は、今現在自分が経験している 4T (これは 4Te でも 4Ti でもありえます) をもっているという事実は、「無限に存在する 4T」から「無限に存在する 4T マイナスまさにその一つの 4T (つまりほぼ無限の数の 4T ということになります)」を引かなければ成り立たないことを意味しています。

これは、少々頭が痛くなる頭の体操ですが、以上のことは、もしかりに、MRI (精神研究所) のポール ウォツラウィックがその編集著の『創出された現実』等で提唱している、「『現実』は外界にあって私たちの知覚経路を通じて知覚されるものではなく、むしろ瞬間から瞬間へと私たち自身が継続的に、積極的に構築するものである」という「実証的構成主義」 (「現実」が各瞬間に生まれて、次の瞬間に消えていくというこの概念は、2,500 年前に仏陀が『般若心教』で表現した「色即是空」 (現象界は空に他ならない) の概念に非常に近いものですが) に基づくのであれば、私たちは、瞬間瞬間において、理論的には無限の数の内的体験をもちうるのに、実際にはたった一つの内的体験しかしていないということは、「無限マイナス 1 (つまりほぼ無限)」の数の内的体験を (積極的、意識的ではないにしろ、消極的、無意識的に) 否定し続けているという空恐ろしい結論に達してしまいます。

もっと簡単に言うと、あるたった一つのアイデンティティにこだわりすぎるということは、常に瞬間瞬間において他の「ほぼ無限」の数の可能性としてのアイデンティティをすべて否定し続けながら生きているということになります。

このことは、本メルマガの前号で書いた「『ジャンプした』後にしか『今まで後生大事にしがみついていた自己アイデンティティは「くだらないがらくた」でしかなかったことがわからない』 (= そのことは、耳年増としてはなく、ジャンプという行動を実際にしてみないと絶対わからない) というのが (鶏と卵風の) 究極の逆説のように思われます」の部分とも、上記の「もちろん、このメタに出るという行為は『ボックスから外に出る』という行為と密接に関係があり、さらに、私が本メルマガで何度も言及してきている『抜け出しようもない蟻地獄からの脱出法』ともつながっています」の部分とも密接な関係性があります。

作成 2023/12/18