以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 65 号 (2006.12.25 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「北岡泰典ワークのフィードバック」ページ開設のトピックと、最近発見した非常に興味のあることについて情報発信したいと思います。


1. 「北岡泰典ワークのフィードバック」ページ開設

私の公式サイトで「北岡泰典ワークのフィードバック」ページを開設しました。このページでは、北岡のワークに触れて、どのように自己変革が達成されたかを主なテーマにして、北岡ワークに対するフィードバックを掲載していきたいと思っています。今後逐次フィードバックの数を増やしていく予定です。

http://www.kitaokataiten.com/archives/2005/09/feedback.html

今回は、吉祥寺のニューロカフェ Web サイト上に掲載された同カフェ オーナーの角川英治氏の私のワークに関するコメントを「ミラーサイト」的に部分引用したフィードバック ページへのリンクを貼りました。このページでは、ニューロカフェの店内の雰囲気も写真で味わえます。(ちなみに、角川氏は、計 12 回開かれた北岡泰典公式ワークショップを唯一皆勤された参加者です。)

角川氏のこのフィードバックは、私の「Creativity Enhancer (クリエティビティ・エンハンサー、創造性向上ファシリテータ)」としてのワークを「約言」していると私は思うので、該当引用箇所を全文以下に再引用させていただきます。

「この度、ここ1年半ほどお付き合いさせていただいて公私共にお世話になっている日本NLP学院の校長「北岡泰典」(KITAOKA TAITEN)氏とここニューロカフェにてセッションすることにあいなりました。
といきなり書いてしまいましたが、まず説明をば。

「NLP」とはそもそも何?
「北岡泰典」はだれ?

ってことなんですが、説明させてください。

わたしの会社の顧問でありますロバート中川というウェブプロモーションのありえないリソースをお持ちの方がいまして、彼の知り合いということで強く紹介されたのが1年半ぐらい前でした。そもそもそれ以前に「NLP」を知っていたわけではなく、ロバートさんの話だとふむふむコビーの「7つの習慣」のすごいものかなーぐらいでした。しかし、北岡氏にお会いさせていただきさらに彼の公式ワークショップがうまいタイミングでありましたので、いかせていただいたところ、あまりの自分の変革に今までほんと何やってたんだろというより過去はどーでもよくなってしまって、そうこうしてる間にこの10月にニューロカフェの事業をはじめてしまったのです。で、先ほどの話、北岡さんのプロフィールが彼のサイトにありますので、飛んでってもらっていいでしょうか。

NLPの説明はこの後として、彼は、そもそもNLPなるものがあって、それを作った大家の方々から直接教えをうけている唯一の日本人で、精神世界(そもそもサブカルチャー世代のぼくにはぐぐっときました)や哲学や宗教などかなり深い造詣のある方です。この相関図をみてください!

で、NLPの話ですが、NLPは、Neuro-linguistic Programmingの略でして日本語では神経言語プログラミングといいます。専門的な説明はここを読んでいただくとして、ぼくのつたない言葉で表現するとするなら、今一般的には、欧米得にイギリスやドイツでとんでもなく流行っている「コミュニケーションスキル」で、そのスキルを覚えると、モチベーションあがったり、対人コミュニケーション能力があからさまに向上したりするというものです。心理療法でもつかわれているようでベトナム帰還兵を更生させたり、クリントンが演説でつかったりと、当たり前のように使われている心理学(トランスパーソナル心理学といいます)の一種と考えていいと思います。※北岡さんあまりに簡単すぎて問題あったらフォローお願いします。

早速北岡氏に修正いただきました。感謝です。

(北岡泰典の「フォロー」メッセージ: そうですね。この部分は、正確ではないですね。NLP はトランスパーソナル心理学の一種ではないからです。NLP の前身としては、ワトソン、スキナー式の行動心理学、フリッツ・パールズが創始したゲシュタルト療法等の現代西洋心理療法、ミルトン H. エリクソンの催眠療法、ヴァージニア・サティアの家族療法、英国生まれの文化人類学者のグレゴリー・ベイツンの認識論、チョムスキーの変形生成文法といった学派が考えられます。実は、私はまだ論理的に明示化はしていませんが、フランス哲学界で主流になってきている「ポストモダニズム」の後に来るものとして、ベイツン、チョムスキー経由で NLP を位置づけられないかと虎視眈々と画策してきています。もしこの位置づけが可能であれば、今後、ポストモダニズムの影響を受けている日本の知的層が NLP にどっと流れる可能性も捨てられないと思っているところです。)

で、私は、もともと話好きでありまして、ここ最近は対人コミュニケーションでほぼストレスを感じたことはないのですが、この北岡氏のNLPのワークをうけさせてもらって、とんでもないことがおき続けています。そもそも、仕事の企画(ウェブ&デザイン)の作成が飛躍的にあがりました。また、スタッフとの関係性などもどこにスポット当てて何を達成すればお互いがすっきりいくかかなりなレベルまで、具体的に見えてきました。これはうちのカミサンに対してもしかりです。さらに自分の感情レベルや過去のトラウマ的なものもかなりな部分解決され、それがずーと持続しています。この加速感は今もずっとつづいています。というわけで、これは知り合いにほんと教えてたいし(好きな音楽勧めるかんじです)、それしらなきゃだめでしょ的な勢いで、ニューロカフェでジャムセッションを企画しました。」

2. 日本人は、西洋人と比べて「自分自身を見つめる」訓練ができていない?

このセクションで書かれることは、上記の角川氏のフィードバック内容の引用と密接に関連しています。

すなわち、角川氏が私の公式ワークショップでのワークに初めて触れられた約一年前から経験してきている(と彼が主張している) 「ありえない奇跡的な自己変革」が、私の場合は、1988 年の春に NLP 創始者のジョン・グリンダー氏と共同開発者のジュディス・デロージャ女史の (「個人的天才になるための必要条件」というワークショップでの) ワークに触れたときに起こり始め、その変革は、実は、18 年経った今も続いていて、かつ、私は、この自己変革のプロセスは、私の肉体が滅びた後も続くだろうということを体感もしています。

それほど空恐ろしい方法論をジョン・グリンダー氏とリチャード・バンドラー氏は 30 年前に作ってしまったわけです。

しかし、私には、特に日本の国内で、その本当のすごさを NLP から真の意味で体感し、自分の生活で体現している NLP ピアの数は極めて少ないと見ています。(もちろん、このことは、日本だけでなく、欧米でも当てはまりますが。)

私は、私が 18 年前に、そして角川氏が 1 年前に体験したような「信じがたき自己変革」を他の人々にも引き起こせる方法論と自信をもって 2002 年に帰国し、2003 年 10 月には本 メルマガ『これが本物の NLP だ! 』を立ち上げたわけですが、今まで、「信じがたき自己変革」が起こったという直接談を耳にしたことはあまりなく、頻繁に耳にするのは、「北岡さんのメルマガは難解だ」、「北岡さんの (紹介) ワークは難しい」といったものが多く、私が最初に訳した金字塔的な NLP 入門書「マジック オブ NLP」にいたっては、当初オンラインで酷評を受けたりしました。

これらの市場からの反応には、二つの理由があると思います。

一つ目は、私が商業主義に走っている (私は、私のワークに触れる人々に (1) 気づき、(2) 自己変革、(3) 自分自身のセラピストになること、の三点をもたらせたいと思っているだけの「学者」です!) と信じている NLP 業界の競合者からのいわゆる「商業的攻撃」があるかと思います。

二つ目としては、実はつい最近わかったことなのですが、このセクションの表題にもなっているように、「日本人は、西洋人と比べて『自分自身を見つめる』訓練ができていない」ことが、 理由になっているように思えます。

すなわち、私の NLP 紹介ワークショップに来て、私の左脳的な話を聞いた後、その知識を右脳に落とし込むための NLP 演習を行った際、たとえば、今自分が体験していることが自分の外側で起こっていることか内側で起こっていることかが実感できない、とか、自分の頭の中で起こっているプログラミングである「地図」と自分の外の現実で起こっている「土地」の違いがわからない (場合によっては、この「地図」と「土地」の対比が「比喩」だとはわからず、実際の地図を頭の中に描いてしまう人もいると聞きました) 参加者が少なからずいるので、紹介 NLP 演習を、演習実践者にこのような実感をもたらせるような形で再構成する必要がある、といった助言を最近私はいただきました。

このことは、私には、「仰天」することで、NLP で生まれた西洋では、このような問題および助言は、ほとんど起こりえないと私は思います。

なぜならば、フロイトの精神分析以降、おそらく 50 年近く続いた、ゲシュタルト、プライマル、エンカウンター、リバーシングを初めとする現代心理療法の伝統のある西洋人は、このような「自分の外側で起こっていることか内側で起こっていることか」を区別する主観的判断能力の作業を何十時間、何百時間もかけていやというほど実際に経験してきているからです。

いわば、NLP は、米国のカウンターカルチャー系の「心理療法、瞑想、催眠、変性意識の実験その他」の伝統を元にして生まれたわけですが、日本人はこれらの伝統をほぼ「まったく」体感的に知らないので、つまり、自分の今の体験が自分の主観で起こっているのか客観で起こっているのか、といった深い「自分を見つめる検証」をしてきていないので、NLP のような、日本に存在しなかったテクニック (実は、 NLP テクニックの多くはゲシュタルト療法的なので、ゲシュタルトの経験のある場合はとっかかりやすいとも思いますが) を行った場合、いったい自分に何が起こっているか理解ができず、大きな混乱を覚えることも、ある意味では、当然なのかもしれません。

この状況については、私は、それ自体では、西洋人の方が日本人よりも優れているといった評価・判断をするつもりは毛頭ありませんが、ただ、禅や仏教の瞑想という「内省観照」に非常に秀でている「はず」の (特に現代) 日本人がこのような「自己観察」の訓練を学校や家族で受けてきていないことは、極めて忌忌しき事態だと私は主張します。最近のニート問題の原因も、実はここにあるのではないでしょうか?

この「日本人が NLP テクニックに出会って、自分の今の体験が自分の主観で起こっているのか客観で起こっているのかわからず戸惑う」という状況は、特に NLP を教える側からは否定的にも思われますが、私には、逆に、日本人は、なおさら「NLP を完全習得すべきである」という強力な理由になると思われます。

まず第一に、この状況は、日本人には NLP が理解できないということを意味しているのではなく、単に、NLP を通じて自分がもつ体験が自分の「参照機構 (左脳的に結び付けられる自分自身の過去体験)」にないので戸惑うだけで、いったん、右脳的に今起こっていることが左脳的に整理できる「コツ」を覚えた後は、どんどん参照機構が生成されていくようになるので、その後の NLP 学習は実感のともなう加速学習となるからです。実際、私が開講している資格コース参加者も、初期のモジュールでは混乱するが、プラクティショナー コースの後半部あたりで学習が非常に深まり始めました、と報告することがよくあります。

私は、このコツは、NLP 演習を一つか二つ行うだけで得られる場合もあると、見ています。

第二として、日本人には、西洋人がもつ、 フロイトの精神分析以降 50 年近く続いた現代心理療法の伝統がないわけですが、このことは、それほど否定的なことでもなく、むしろ、喜ばしいことかもしれません。

西洋人は、半世紀以上続いた精神分析、心理療法を通じて「どれだけ人間は精神的に病めるか」についての実験と参照機構を積み上げていった挙句に、そのようなフレーミングでは人間は解放されないという反省に立って、やっと 1975 年にカリフォルニアで「人間はどれだけ天才になれるか」についての方法論として NLP が生まれたわけですが、いわば、もし日本人が「当初の障壁」を越えて、NLP 的思考方法を身につけ始めれば、この半世紀以上の「西洋の狂気」の期間を「いっきにバイパス」して、期間短縮をすることができることになります。

ただ、50 年以上の西洋の試行錯誤の時間のこのような瞬間的な期間短縮は NLP を通じて達成することはできても、参照機構のない人々が NLP を学んだ場合、あくまでも、そこから得る自己変革は、それに見合って些細なものになる可能性もあります。

私は、NLP は「頭の切れのよい (= センスのいい)」人々を輩出することができる、と確信していますが、 しかし、そのためには、数少なくてもいいのですが、適切な参照機構をもっている必要があるとも思われます。

また、適切な参照機構がなければ、「NLP はイメージ トレーニングにすぎない」といった理解を脱することはできないかもしれません。実際は、NLP は天地もひっくり返りうるとんでもない方法論であるのですが。

以上のことは、視点を変えると、(語弊を恐れずに言うと) 日本人には「耳年増」が多いと、言い換えることができるかと思います。

すなわち、たとえば、「カリブレーション」という NLP テクニック一つをとっても、頭では「人を観察すること」とわかっていても、実際に自分が本当には人をほとんど「あるがまま見ていない」ということは、テクニック演習を実際に右脳的体験として行ってみるまでは、わかっていないことが理解できない人々が多いようです。

私自身、学生の頃は、まさしく、このような左脳的人間でしたが、1983 年に私自身の精神世界的な師匠に出会ったとき、そのような知識は「ゴミの価値」もないことをいやというほど実感させられ、その後、NLP という「左脳的知識を右脳的知識に落とし込める」方法論を知って、自分自身を「両脳人間」に変えることが可能となり、そのときから「奇跡的な自己変革」が起こり始めた次第でした。

(ちなみに、「左脳的な知識は『ゴミの価値』もない」ことについては、興味深い例が一つあります。最近、私は、自分の「NLP を使った北岡式英語学習法」のパイロットスキーム講習を都内で開始していますが、その際、講習参加者に「副詞が修飾できる品詞は何ですか?」と質問すると、(ある人は即、別の人は過去の記憶をたどりながら) 「動詞、形容詞、副詞、文全体です」という正解は出てきますが、その正解者は、その「左脳的知識」を日本語の九九のように血肉化 (= 右脳化) していないので、実際にリアルタイムで英米人と英会話しているまさにそのときにその知識を意識的、無意識的に自由自在に駆使しながら、正しい英語をしゃべることはできないでいるようです。まさにこの図式を、私は「耳年増」と形容しています。)

今後私は、すでに私から NLP を学んでいる方々も含めて、真の意味での自己変革をできるだけ多くの日本人の方々にもたらせたいと思っています。そうすれば、日本も、もう少しは住みやすい場所になるのではないでしょうか?

作成 2023/12/1