以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 これが本物の NLP だ!」第 4 号 (2003.11.20 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、私と NLP の個人的な出会いについて語らせていただきたいと思います。

前号の追記部分で私は、NLP を学び始めた 15 年前には私にはセラピー的傾向があったかもしれない、と述べましたが、確かに、20 年くらい前に私が初めて NLP の名前を知ったのは西洋心理療法を通じてでした。以下、私の個人的な過去の経緯に言及させてください。

私は、生後 4 ヶ月で脳性麻痺を煩い、現在も左半身に軽度の神経的麻痺が残っています。幼児期に 2 度、5 歳と 10 歳のときに (心身障害児収容の) 施設体験をしたのですが、このとき、いわゆる強度の精神的外傷 (トラウマ) 的体験をもちました。中学校から普通校に戻りましたが、私の中では、それ以来「社会再適応」がまったくといっていいほどうまくいかず、この状態は、二浪後大学に入学し、卒業するまで続きました。(ちなみに、高校時代に私が一番好きだった小説家は大江健三郎でしたが、特に彼の『芽むしり仔撃ち』は、ある閉ざされた空間に閉じ込められた子供たちの疎外感とその経験がみごとに象徴的に描写されていると思いました。)

私の NLP のような心理学的方法論を求める「原体験」になったのは、大学の構内に広いコンクリートのスロープがあり、私は「視線恐怖症」で学生がたくさん往来するこのスロープがまともに歩けず、いつも脇の階段を利用していたのですが、そのとき心の中で叫んだ「これほどきつい神経症を治せる心理学はおそらく世の中に存在しないであろうが、もしも見つけられるようであればそれに命をかけてもいい」という決意でした。

大学在学中には、シグムント フロイトやウィリアム ライヒ系の精神分析の本を読みましたが、求めているものは得られませんでした。

大学卒業と同時に北アフリカのサハラ砂漠に行き、80 年代前半に通算 3 年間そこに滞在しました。世界最大の砂漠のど真ん中で国内大手企業のフリーランス仏語通訳に従事しましたが、目的は、「瞑想」的な、あるいは「変性意識」的な体験をもつことで自己変革を達成することでした。確かに、砂漠の生活そのものは非常に過酷なものでしたが、自然の光景は真の意味で雄大で、言葉の表現を超えたものでした。たとえば、数百メートル以上の高さがある崖の頂上に立ったとき、不毛の土地を見渡して、遠い過去の川の流れの跡も見ることができ、その場所全体が何万年も前には海面下にあったことを知りました。というのも、その崖の頂上ではたくさんの海の貝の化石を拾い上げることができたからです。また、不毛の砂丘の真ん中で大きな朝日が東から昇っているのを見たとき、同時に西の地平線上には同じく大きな黄色の満月がありました。 このような壮大な景色の中で、私は人間存在の微小さを感じないではいられませんでした。

このような瞑想体験も、結局は私の問題を根本的には解決しなかったので、次の方法論として西洋心理療法を実験してみました。ということで、1983 年から 1985 年にかけて、私は、米国オレゴン州で通算 7 ヶ月間の心理療法コース (私たちは生まれたときから「催眠」にかけられた状態になっているが、その状態から抜け出る必要があるという意味で『脱催眠療法』と呼ばれていたコースでした) に参加しました。通算セッション時間総数が 1,700 時間以上にも及んだこのコースは、ゲシュタルト療法、交流分析 (TA)、ヒューマニスティック サイコロジー、エンカウンタ、プライマル、サイコシンセシス、リバーシング、催眠療法、その他ほぼすべての現代西洋心理療法の学派の方法論を網羅している折衷的なコースでした。 私は、このコースの期間中に自分はすばらしい究極的な内的スペースを経験できていると感じていましたが、コースに参加していたあるドイツ人の男性に「私たちがここで経験していることは、NLP と呼ばれる新たに生まれたアメリカの心理学と比べると一種の幼稚園ゲームにすぎないですよ」と言われました。

私はその時もちろん、この男性の言ったことをまったく信じることができませんでしたが、その数年後 (1988 年) に、私がジョン グリンダーとジュディス ディロージャがロンドンで開講したワークショップ、『個人的な天才のための必須条件』に参加した後、私はその男性とまったく意見を共にするようになりました。NLP が真に革命的な一式の心理的ツールであることがそのときわかったのです。つまり、それ以前に、私は 1,700 時間もかけて当時最先端と言われていた西洋のセラピー方法論をほぼすべて実地に体験しましたが、クライアントに、そもそも二度と思い出したくないと思っている過去のトラウマそのものを認知的に (ゲシュタルト、交流分析等の場合)、または情緒的および心理的に (エンカウンター、プライマル、リバーシング等の場合) 再現なく何度も何度も再体験させようとしているという点において、これらの「最先端」の心理療法の学派はすべて、言語による際限のない表現 (『連想』テクニック) によってクライアントのトラウマの解消を図ろうとするフロイトの精神分析と、両者ともコンテント志向である意味において、ほとんど大差がないことが判明しました。NLP 以前の西洋心理療法の学派すべてと NLP の決定的違いは、現在日本でも『信奉者』の多い、ビジネス界で最も成功している NLP 実践者、トニー ロビンスがある比喩を引き合いに出して、非常に適切に説明しています。

すなわち、ロビンスはその『アンリミティッド パワー』 (邦訳タイトルは『あなたはいまの自分と握手できるか』のようです) で、既存の心理療法の学派は、内部に蒸気圧力が溜まってきているやかん (クライアント) の蓋を開こうとするものだと喩えています。この場合、圧力が解放されたときクライアントは気分よく感じますが、蓋が一人でに再度閉まってしまい圧力が再び溜まる度に、繰り返して 2 週間毎に同じセラピストのところに戻っていく必要があります。他方、NLP で可能なことは、ジュークボックスのメカニズムに類似しています。仮にボタン A を押したときに聞きたい音楽が流れ、ボタン B を押したときに聞きたくない音楽が流れるなら、ボタン A を押すたびに聞きたい音楽が流れ始めるように、内部配線を変えることができます。または、聞きたくない音楽が乗っているディスクを取り払って、聞きたい音楽の新ディスクを乗せ換えることが可能です。NLP が達成できることは、まさにこのような私たち人間の脳のプログラミングの「配線変え」というわけです。

ちなみに、この同じメカニズムについての私自身のお気に入りの比喩は、CD-ROM (またはフロッピー ディスク) ドライブが設置されたコンピュータです。すなわち、私たちは通常、自分の誕生時からこの人生ずっと同じ 1 つの古い CD-ROM (またはディスク) だけを使い続けてきているのですが、他の CD-ROM (またはディスク) との交換法がわからないかぎり、私たちは自分が見て、聞いて、感じたいと望むデータをコンピュータ モニタ上で閲覧することは決してできないことになります。すなわち、モニタ上で私たちに可能な経験の範囲は挿入済みの CD-ROM (またはディスク) の内容によって事前決定されているので、仮に CD-ROM (またはディスク) の交換法がわからない場合、または交換を望まない場合は、私たちは、モニタ上で同じ陳腐な過去の経験を永久に繰り返すように運命付けられていることになります。NLP 以前の心理療法は、いわば過去のトラウマのシーンのデータが保存されている CD-ROM (またはディスク) からそのトラウマをモニタ上で再アクセスさせて何度も何度も再体験させることだけで、クライアントが「カタルシス」を行いさえすればそのトラウマを自動的に解消できると (ほとんど「犯罪的」と言ってもいいほど) ナイーブに信じていたと言えます。一方、NLP は、トラウマのシーンのデータが保存されている CD-ROM (またはディスク) を意識的にドライブに挿入しないでおく術、または私たちが自分が見て、聞いて、感じたいと望む内的体験のデータが保存されているような複数の CD-ROM (またはディスク) を作成して、そのうち文脈に最も合った CD-ROM (またはディスク) を常に意識的にドライブに挿入できる術を教えてくれるというわけです。

上記の説明は、実際に NLP テクニックを実践したことのない人々には、単なる頭の体操で終わってしまうと思いますが、NLP では、『個人編集』と呼ばれる、実際に「脳のプログラミングの配線変え」を可能にしてしまう一定数のテクニックが用意されています。『個人編集』とは、1988 年時に、グリンダーとディロージャが『個人的な天才のための必須条件』ワークショップで使っていた用語ですが、「個人の既存の行動/思考パターンを編集して、自分が求める行動/思考パターンを作り出す」ためのテクニックという意味です。個人編集テクニックは広範な演習を含んでいますが、中でも、「メタミラー」、「共鳴パターン」、「ディズニー創造性ストラテジー」、「信念体系統合」、「タイム ライン」、「チャート編集」、「コア トランスフォーメーション」等が特記できます。これらのテクニックのうち最初の 4 つは、私が最高の NLP テクニック考案者と見ているロバート ディルツの考案です。どのように NLP 個人編集テクニックのようないわゆる「頭の体操」じみた演習が実際にテクニック実践者の脳のプログラミングの配線を変えて、かつその人の人生そのものを変えてしまうのかのメカニズムについては、そのディルツが『NLP のルーツ』の中で優雅に説明しています。

「NLP のような認識論的モデルは、私たちの経験についてのモデルであると同時に、このようなモデルについて考える [著者注: 言い換えれば、このような NLP 個人編集テクニックを実践する] というまさにその行為を通じて私たちの経験の一部になるという意味において、ユニークなモデルである。」

私は、1988 年夏に米国カリフォルニア州サンタ クルーズ市のカリフォルニア大学サンタ クルーズ校内にベースを置いていたグリンダー ディロージャ & アソシエーツ (GDA) で、NLP プラクティショナー資格を取得し、1989 年夏には同じく GDA で NLP マスター プラクティショナー資格を取得した後、英国ロンドン市内で一種の「隠遁生活」に入り、以後 1995 年にドイツ ミュンヘンでリチャード バンドラーから NLP トレーナーとしてトレーニングを受けるまでの約 7 年間、ほぼ毎日のように、一定数の個人編集テクニックを独自で実践し続けました。これは、1989 年当時にたとえば日本に帰国して NLP を広めることもできたのでしょうが、まず自分を救わないかぎり人に教えることはできないだろう、と思い、また、NLP をやりすぎると気がおかしくなるかどうかを確かめたいと思ったからです。

この間、テレビ ゲームの「パックマン」の比喩を借りると、NLP 以前の心理療法テクニックでは、パックマンが食べるべきキャラクターが無数に存在していて、パックマンに食べられてもそれらのキャラクターが再度ぞろぞろと生き返ってくる (ロビンスの比喩で言う「やかんの蓋が自動的に再び閉まる」) ようなものだったのですが、NLP 個人編集テクニックの場合は、一度食べられたキャラクターが生き返ってくることはけっしてなく、キャラクターの数そのものが確実に着実に減っていくことを経験して文字通り驚愕を覚えました。数年間の個人編集テクニックの実践の後は、それまで解消されることのなかった、複雑にもつれた大きな凧糸の結び目のようであったトラウマも最終的には完全克服されてしまいました。(なお、ここで言う「パックマンが食べるキャラクター」は、ゲシュタルト セラピーの「アンフィニッシュド ビジネス」と同義語です。)

この経験に基づいて、私は、「あれだけ強度な私自身のトラウマさえ解消させた」 NLP は、ほぼどのような人々のどのような問題も解決しうる方法論である、と自己確信しています。ただ、この確信は、NLP 以上のものが今見つかれば明日にでもすぐ NLP をゴミ箱に捨てることのできるような私の徹底的懐疑主義に基づいていますので、読者の方々に、私は NLP の熱狂的信者ではなく、消去法で「しかたなし」に NLP にたどり着いた者であるということを理解していただきたいと思いますし、また、同時に、NLP に対しては、常に私と同じくらいの懐疑主義的立場を維持しながら、研究、実践、習得していただきたいと思います。

なお、私個人の「NLP 経験」を決定付けたのは、1988 年当時私が「魔法的」または「奇跡的」だと感じたトレーニングを行っていた NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏ですが、過去 15 年間の個人的交流を基にして、現在、私と同氏は公私にわたって活動を共に行っています。

以上が私自身と NLP の出会いについてですが、私は、自分のトラウマを完全克服した後は、普通の方々が「天才」になるのを支援することにのみ興味をもってきています。これは、まったく同じ NLP 個人編集テクニックが「マイナスをゼロにする」ことにも「プラスをさらにプラスにする」ことにも適用できることを発見したからです。私自身、NLP と私自身の方法論を組み合わせた学習加速法を使って、NLP、語学、コンピュータ UI 操作等のエリアで、その道の「玄人」になることに成功してきています。たとえば、私は片手でノートブック コンピュータの比較的小さめのキーボードを使いますが、普通の翻訳家のおそらく二、三倍以上の速さで日本語を英語に直接翻訳し、かつ「英語を母国語として喋る英米人が少し間違いを犯した」ような、構文的に正確な英文を直接タイプできる力を身に着けてきています。(和文タイプの場合非常にわずらわしい漢字候補の変換操作が常時あるので、私の場合、まず一括タイプして後はスペル チェックするだけの英文タイプの方が和文タイプよりも約三倍程度速くできます。) この理由により、私は、私と同じような技能習得レベルを他の方々が、コンテント フリーの学習加速方法論としての NLP を通じて、その方々自身の専門職で達成することを支援することができると考えています。

この私自身の自己発展の軌跡は、当初はセラピーの代替学派として生まれ、その後さらに汎用性のある一般コミュニケーション心理学に完全変容した NLP の軌跡を反映していると言えるかもしれません。

作成 2023/10/1