以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 220 号 (2012.1.13 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、以下のトピックがカバーされています。

注: 本「語録シリーズ」では、日本語の文が先にあって、英訳が後にある語録は、北岡自身が発信する語録です。一方で、英語の文が先にあって、日本語訳が後にある語録は、他の人 (多くの場合、NLP 創始者または開発者) からの引用語録です。

1.北岡語録、その八

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1.北岡語録、その八

“Nothing comes into the mind without first entering through the senses.”

「マインドの中に入ってくるもので、まず知覚経路を通じて入ってこないものはない。」

この信条は、イギリス経験論者のジョン ロックが提唱したものです。

北岡によれば、この意味は、マインド (脳機能として起こっていること。ちなみに、コンピュータ用語を用いるとすると、マインドは、入力 (五感の入力) がプログラミング (アンカーリング) によって処理された後出力としてモニタ上で表示される仮想現実と等価です) の中で起こっていることは、例外なくすべて、もともとは、外界から入ってきた入力で成り立っている、ということです。

たとえば、世の中にないものごとを「新しく想像」したりする場合、確かに外から入ってきた入力の記憶とは異なる、新しい内的体験をもつことになりますが、しかし、このプロセスは、単に、外から入ってきた入力の記憶の部分部分を「再構築」することにすぎないと見なされるべきものです。

このためにこそ、マインドの「糧」となる外界からの「生の情報」としての知覚的入力の質が問われることになり、この意味で、カリブレーション (観察) の重要性をどれだけ強調しても、強調しすぎることはない、と言えます。

以上の意味において、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏のような真の「認識論者」 (我々が知っていることをどのように知っているかについての研究者) は、外界で起こっていることについてはいっさい口をつぐむ「不可知論者」である方で、マインドの中で起こっていることについては「徹底的な左脳的な分析」を行う傾向にあります。このことは、以下の格言で表現されています (グリンダー氏の発言をもとにしています)。

「我々は、外界の『神』の存在について議論できない。できるのは自身の世界地図についてだけである。」

“We cannot discuss the existence of outer ‘God’ at all; it is solely our own inner map of the world that we can discuss.”

さらに、以上のこについてを話していた私自身のワーク講義中に、ワーク参加者から、「NLP は、目に見える五感の世界だけを扱っていて、第六感、第七感の世界を扱っていないのが、個人的には不満に覚えます」というコメントをいただいたことがあります。

このコメントに対しては、私は、まず、「NLP は、確かに、目に見える世界だけを扱っていますが、個人的には、目に見える世界を、文字通り知り尽していないかぎり、それ以上の世界を云々することはできないと思います」と反応した後、「確かに、おっしゃる通りですね。NLP は、(どれだけ驚異的であったとしても、所詮) 単なるツールにすぎないので、NLP を学ぶ前にレモンの味を知っていれば、その味を NLP で再生することはできますが、知らない場合は、いくら NLP を研究、実践しても、その味を再生できない点に、NLP の限界性があると思います」とコメントさせていただきました。

(なお、講義中には、これ以上のコメントはしなかったのですが、その後再考してみると、仮に目に見えない世界を体験した人が NLP を研究、実践すれば、「ボックスからの抜け方」等を「明示化」することができるように思えてなりません。 )

このことについて、私は、以下の格言を Facebook に投稿しています。

目に見える五感の世界のすべてを知っていない者は、第六感、第七感の世界を云々できない。

Those who don’t know everything about the tangible experience of the five senses cannot legitimately say anything about the intangible worlds of the sixth and/or the seventh sense.

作成 2022/6/22