以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 147 号 (2010.5.12 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「北岡新 NLP FAQ、その三十八」のトピックがカバーされています。


1) 北岡新 NLP FAQ、その三十八

Q85 (147): FAQ83 で、「ピークパフォーマンスを達成するための最低必要条件」について語られたとき、

1) 最高質のアンカーリング
2) 最高質のカリブレーション
3) カリブレーションに基づいた行動上の柔軟性

の三つの条件を定義された上で、「最高質のカリブレーション」は「周辺視野をもつ」ことと「内的対話をなくす」ことから成り立つと定義されたと思いますが、この二つの要素は V と A ですが、なぜ K の要素がここから欠けているのでしょうか?

A85 (147): この質問は、今回開催された「Meta Mind Work I~ III」の講義中にワークショップ参加者から受けたものですが、極めて興味深いものだと思います。

まず、思うに、「内的対話をなくす」ことは、おそらく「周辺聴覚をもつこと」と定義し直すことが できると思います。ということは、最高質のカリブレーションの前提となる上記の二つの要素は、それぞれ「Vi、Ai がない Ve、Ae の状態」と規定することができると思います。

であるならば、もし仮に最高質のカリブレーションに、上記の二つの視覚的と聴覚的要素の他にも触覚的要素があるとしたら、それは、いわば「周辺触覚」であり、「Ki ではない Ke の要素」であるという論理的帰結が導かれます。

ここで非常に興味深いことは、通常、NLP の眼球動作パターンでは、右下を見ると触覚的体験にアクセスし、左下を見ると内的対話にアクセスしているとされていますが、「(視覚、聴覚とも、右方向は 「構築」体験へのアクセスを意味していて、左方向は「記憶」体験へのアクセスを意味しているので)、右下が触覚構築を意味していなくて、左下が触覚記憶を 意味していないのではどうしてでしょうか?」という質問を頻繁に受けることです。

この質問に対する私の回答は、「NLP 創始時点では、確かに、右下が触覚構築を意味し、左下が触覚記憶を意味していると想定された上で実験がなされましたが、最終的には、主に、『過去』の触覚 的記憶を感じる場合、今ここで起こっている『現在』の身体的触覚的体験として感じることしかできないので、触覚の場合、構築と記憶パターンが視覚と聴覚の 場合に対応しないことが判明し、結果的に、現在のような眼球動作パターンが確立してきています」というものです。

ということで、かりに「周辺触覚」であり、「Ki ではない Ke」の要素があるとしたら、それは眼球動作パターンの右下方向の体験となります。

この点について、さらに考察してみましたが、『Magic of NLP』に以下の記載があることを思い出しました (翻訳草稿からの引用なので、出版バージョンとは異なる可能性があります)。

「触覚表出体系はいくつかの重要な要素に区分されます。肉体からの感覚入力は『体性』感覚として 分類されます。これに含まれるものとしては、温度、接触、痛み等についての『外受容』感覚、私たちに体の位置、振動、体内の痛み、圧力等についての情報を 与えてくれる筋肉、腱、関節から来る『固有受容』感覚、体内器官から来る苦痛と満腹感等の『内臓』感覚の三つがあります。

私たちの言語では、しかしながら、もう一つの『フィーリング』、つまり、私たちが『感情』と呼ぶ ものが確認されています。ある人が『傷ついた』と言う時、その人は自分の皮膚の圧力または痛みのことを意味しているかもしれませんし、あるいは感情と呼ば れる、なんらかの『内的状態』のことを話しているのかもしれません。

実際のところ、それらの二つの意味は非常に類似したものです。感情的に『傷つく』ということは、 いくつかの体性感覚の複合体を経験することだからです。たとえば、目と顔のまわりの緊張、姿勢の変化、内部筋肉の繊維、腱、関節の緊張が存在するかもしれ ませんし、さらに圧迫、収縮といった形で内臓からの情報入力をともなっている場合もあります。この感覚入力が他の思考過程と結合した時、感情的に『傷つい た』という表現が生まれます。私たちが感情と呼ぶこれらのフィーリングは、体性感覚と密接な関係があるので、それらは『派生フィーリング』(記号化は 『Kd』)と見なすこともあります(訳注:『Kd』は『Kinesthetic derived』の略語です)。」

上記で言う「派生フィーリング (Kd)」は、明らかに Ki である一方、「外受容感覚」、「固有受容感覚」、「内臓感覚」からなる「体性感覚」は Ke であると規定できます。

おそらく、この Ki (ここでは「擬似体性感覚」という言葉を使わせていただきたいと思いますが) ではない Ke の体性感覚をもつことが「周辺触覚」をもつことと等価であるように思われます。

以上の前提に基づけば、「最高質のカリブレーション」は以下の三つの要素から成り立っていると再定義できます。

i) 周辺視野をもつこと
ii) 内的対話をなくすこと
iii) 擬似体性感覚をなくすこと (体性感覚のみをもつこと)

質問を受けた翌日のワーク講義中に、以上の回答をさせていただきましたが、いかがででしょうか?

(ちなみに、「現在」の体性感覚として起こっている体験には真正な体性感覚と過去からの派生 フィーリングとしての擬似体性感覚の二つがあり、通常は、両者を区別できない (が、実は、歴然とした差異がある) という図式は、Meta Mind Work の「メタマインドの表出のされ方は、たとえば、下位レベルのノーマインドと同じ場合があるが、メタマインドとノーマインドの間には決定的な違いがある」と いうテーマそのものと密接な関連があることは、非常に興味深いことです。)

考えるに、カルロス カスタネーダの『ドンファンの教え』では、「周辺視野をもつこと」と「内的対話をなくすこと」の V と A の二つの 条件しか言及されていませんが、上記のように NLP 的に VAK の全要素をマッピングすることで、「ひょっとしたら」ドンファンのモデルの「超越」につながるかもしれない (= もしかしたら、ドンファンでさえ K の要素は盲点になっていたかもしれない) と考えることは、極めてエキサイティングなことです!

この FAQ の質問者の目の付け所は非常に鋭いと思いました。


Q86 (147): 先生は、最近のメルマガの号で、瞑想の主目的は自己同一化の解除であるとおっしゃっていますが、プログラミングの書き換えが可能とされている NLP を通じて、はたしてそのような自己同一化の解除が可能かどうかについてコメントしていただけますか?

A86 (147): この非常に興味深い質問は、今回の Meta Mind Work ワークショップと深く関連しています。

私自身、最近、「『本物の NLP』は Meta Mind のレベルで機能するもので、そうでない NLP は、その下位レベルの『二律背反』の世界の中を行き来している」ということを示唆してきています (かりにもしこれまでこのことについて明示的に言及していなかったとしたら、このステートメントでそのことを明示化させていただきます)。

このことは、「リフレーミング (つまり、質問にある「プログラミングの書き換え」) することができるだけの NLP」と「ディフレーミング (脱フレーミング、つまり、同じく「自己同一化の解除」) できる NLP」の差と言い換えてもいいと思います。

さらに言い換えれば、リフレーミングするためには、必然的に「メタマインド」が「フレーマー (フレーミングをしている人) を見ている観察者」として「潜在的に」機能していますが、本人はそのことに気づいていない場合が多いと思われます。この場合は、機械的な、鸚鵡返しのリフ レーミングしかできないと思います (この場合は、事前の「リフレーミングの練習」が必須で、かつ、自分の参照機構がない、新しい状況では、リフレーミングはできないはずです)。

その一方で、常にメタマインドで機能しているフレーマーは、常にフレーミングを解除したレベルから、今目の前にあるフレーミングに逐次自分自身で意識的に 入ることを選択し続けているという「自意識」があリます (この「自意識」は NLP の「メタ」に近いものです)。このようなディフレーマーは、リフレーミングするための参照機構をいっさい必要としていないので、いつでもどこでも、いかな る新しい状況でも自由自在にリフレーミングすることができます。

私は、そのような「自由自在なディフレーマー」を「本物の NLP ピア」と呼びたいと思っています。まさしくこのようなディフレーマーこそが、今後私が「Meta Mind Manager (メタマインドの使い手)」として養成していきたい人々です。

以上のことを前提にして言うと、確かに、私の最近のメルマガでも指摘しているように、瞑想の主目的は「自己同一化の解除」にあると思っていますし、NLP は、「プログラミングの書き換え」ができるばかりではなく、むしろ、それ (自己同一化の解除) を行うための最適の方法論であると、私は体験的に確信しています。ただし、このことは、メタマインドで機能する (フリーマインドの) フレーマーだけに当てはまるという、条件を付与しておきたいと思います。

なお、上記の文中では、「フレーミング」と「プログラミング」、さらには「自己同一化」は、ほぼ同義語であることは、本メルマガの読者にとっては自明かと思います。

以上の「自己同一化解除ができる NLP」に興味のある方は、北岡の「NLP ヨガ」ワークショップ (6 月 5 日)、「個人的天才になるための必要条件」ワークショップ (6 月 5 日) への参加をお勧めします。

作成 2024/2/21