以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 146 号 (2010.4.26 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「北岡新 NLP FAQ、その三十七」のトピックがカバーされています。


1) 北岡新 NLP FAQ、その三十七

Q83 (146): 「個人的天才」になるための最低必要条件を教えていただけますか?

A83 (146): 私にとっては、この質問は、「ピークパフォーマンスを達成するための最低必要条件を教えていただけますか?」と等価ですね。

(ちなみに、「個人的天才」とは、何もベートーベンやアインシュタインやピカソのような、社会的認知の観点から定義された「普遍的天才」ではなく、個々人 自身の専門領域で自分自身の潜在性を開花させ、充全なパフォーマンス能力を発揮できている「自分が所属する業界での第一人者」という意味です。)

この観点から言うと、私は、以下の二つの条件で充分だと主張してきています。

1) 最高質のアンカーリング
2) 最高質のカリブレーション

すなわち、アンカーリングの最も適切な定義は、ミルトン H エリクソン全集を編集したアーネスト ロシが提唱する「SDMLB (State-Depending Memory, Learning and Behaviour)」 (「状態依存の記憶/学習/行動」) ですが、自分が求めるピークパフォーマンスを発揮するためのリソースとなる、非常に微細な過去の記憶、学習、行動すべてが一挙に、瞬時に引き出せるような 精確なアンカーリングを通じて、ある特定の状態にアクセスできることが、まず第一の条件となります。

次に、いったんその特定の状態に入ったら、すべて無意識に任せることが可能ですが、意識的には、今行っていることで自分の求める反応が外から得られているかどうかカリブレートすることだけが必要な条件となります。

(以上が、私が通常私のワーク中に言っていることですが、この草稿を見直していて、もちろん、上 記のカリブレーション中、「自分が行っていることで、自分が求めているものが達成されていない場合は、自分の行動を変え続ける『柔軟性』が必要である」こ とは、言わずもがなであるが、重要な要素であることを思いましました。よって、さらに洗練された最低必要条件のパッケージは以下のようになります。

1) 最高質のアンカーリング
2) 最高質のカリブレーション
3) カリブレーションに基づいた行動上の柔軟性

今後は、私は、上記のパッケージを指摘していきたいと思っています。)

これとは別の観点から、私は、カルロス カスタネーダの『ドンファンの教え』式に、最高のパフォーマンスを出せるためには「周辺視野をもつ」ことと「内的対話をなくす」ことも重要だと指摘してきています。

これまで、私は、この二つの「追加条件」と上記の二つの「ピークパフォーマンスを達成するための 最低必要条件」を互いに関連性のないものとして言及してきていましたが、今回のプラクティショナー コースの講義中、前者の二つの条件は、後者のうちの一方の条件である「カリブレーション」の副要素であることに気がつきました。

すなわち、高質なカリブレーションをするための必要条件が「周辺視野をもつ」ことと「内的対話をなくす」ことということになります。

これで、二セットの必要条件がワンセットに統合されることになります。

北岡の「個人的天才になるための必要条件」ワークショップは 6 月 6 日に開催されます。詳細情報は、以下のページでアクセス可能です。

http://www.kitaokataiten.com/genius/


A84 (146): NLP では、「Why (なぜ)」の質問はご法度で、「How (どのように)」の質問しかしてはいけない、と言われていますが、これについて説明していただけますか?

Q84 (146): 私は、常に、クライアントの問題に対して「Why (なぜ)」の質問をしてもクライアントの口からは「左脳的な言い訳」が出てくるだけである一方で、「Hpw (どのように)」の質問をすることで、真の意味での問題解決の糸口が導き出される、と主張しています。

思うに、過去の記憶の奥底まで探りきり、過去のトラウマの原因 (すなわち、Why の質問への答え) がわかればトラウマは解消すると無邪気に信じたフロイトの精神分析的アプローチは惨めなほど失敗してきていることは自明で、周知のことだと思います。

存在もしないモンスターのような過去に関して詮索しようとする極めて不毛な Why の質問 (そもそも、何百、何千とありうる Why への答えのどれがもっとも適切かをいったい誰が正当に判定できるのでしょうか?) とは違って、How の質問は、今ここで起こっている脳内の回路のメカニズムを解明した上で、今この瞬間におけるそのメカニズムを変更することで問題解決を図る方法が、私には 唯一妥当な方法のように思えます。

How の質問は、「我々が知っていることをどのように知っているかについての学問」である「認識論」と密接に関連していますが、認識論の一例としては、私たちが どのように過去の記憶を処理しているかについて分析した結果、通常人間は自分の左上方向を見ることで過去の視覚的な記憶にアクセスすることが発見されたこ とが挙げられます。

以上のことに関して、一点、今回のプラクティショナー コースの講義中、興味深い質問がありました。

それは、「大企業では、現場で発生した問題解決のために『なぜなぜなぜ』を繰り返す会社がありますが、なぜ同じように人間コミュニケーションで『なぜ』の質問をしてはいけないのでしょうか?」という質問でしたが、私は以下のように答えさせていただきました。

「たとえば、自然界では、ビリヤードの玉のケースを含めて、機械的法則が当てはまりますが、人間の場合は、サーモスタットに代表されるようなサイバネティックス的モデル (その一例は TOTE ですが) の法則が当てはまります。

たとえば、崖の上から (同じ重さと大きさの) 複数の石を投げれば、これらの石の動きは大体予測可能ですが、(同じ重さと大きさの) 複数の犬を投げれば、これらの犬は一匹づつすべて非常に異なった動きをしながら落ちていくはずです。

機械的な法則が当てはまるところでは Why の質問は有効でしょうが、サイバネティックな法則が当てはまるエリアでは How の質問をする必要がある、と考えたらいいのではないでしょうか?」

作成 2024/2/20