以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 これが本物の NLP だ!」第 14 号 (2004.4.25 刊) からの抜粋引用です。

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こんにちは、いつも弊社発行の本メルマガをご購読いただきまして、誠にありがとうございます。

この度、メルマガ「これが本物のNLPだ!」を執筆いただいている北岡泰典先生が、NLPクラシックの名著「Magic of NLP ~解明されたNLPの魔法~」を翻訳出版されました。これを記念して、北岡先生との対談が実現しましたので、今号は、出版記念の特別号として、対談の模様をお届け致します。

そもそも私は、NLPに対して非常に懐疑的で、ややもすると反感さえ抱いてしまうこともしばしばありました。能力開発・生涯学習の業界に身を置いている私の周りには、10年ほど前から、自称“NLPの専門家”が増え始めました。その人達の言動が、私のNLPに対する偏見を少なからず増長していたことは間違いないでしょう。北岡先生がよくおっしゃるのですが、「可能な限り源流に遡って研究すること」の大切さを改めて感じています。

北岡先生に初めてお会いしたのは、昨年の9月、あるパーティーに出席したときですから、7カ月の月日が経過しました。この間、私のNLPに対する思い込みは、劇的に変化してきています。NLPに関して、北岡先生ほどの蘊蓄の深さを感じさせてくれる人を他に知りません。(実は、その他の分野にも非常に造詣が深いのですが) この7カ月間、NLPに関する私の執拗な質問に、一つひとつ噛み砕いて答えていただきました。

一つの例をご紹介しますと、NLPには、本人が“脳”を今どの様に働かせているかを、第三者が見極めることができる「眼球アクセス パターン」というノウハウがあるのですが、私はこの主張にとても懐疑的でした。大半の人間が共通に持っている癖(例えば、トラックを走るときは、左回りがスムーズである)と、NLPが主張する「眼球アクセス パターン」が全く逆だからです。この疑問に対して、北岡先生は数秒の思索の後、NLPの「タイムライン」というノウハウと「眼球アクセス パターン」を絡めた見解で、私を納得させてくださいました。(詳細は割愛させていただきます)

一事が万事。全てがこんな調子で、私のNLPに対する偏見の鱗は、みるみる落とされていきました。今にして思えば、少々の疑問があっても“NLPを活用してみようとする柔軟さと好奇心”が私にあれば、NLPの入り口でこんなにも長く止まっている必要は無かったはずです。

NLPに対して、10年間もの長い間抱いていた私の偏見と反感は、日本でNLPを紹介する人達が、NLPを真に体得する前にその諸前提や効果を主張するために、言う本人とNLPの主張との間に生じるギャップがかいま見えてしまい、胡散臭さとして私に伝わっていたのかもしれません。

かつての私がそうであったように、あなたも同じような理由でNLPに対する敬遠心のために、この素晴らしい人間開発ツールの存在を知りながらも使わないでいるとしたら、それは非常にもったいない話です。

是非とも、本物のNLPに触れてみてください。 いきなり脱線してしまいましたが、対談のスタートです。(文中 W は質問者を、K は回答者としての北岡先生を意味しています。また、対談内容を編集転記しています。)

W: このたびは、北岡先生が長年温められてきた作品である、「Magic of NLP」の翻訳本が出版販売され、おめでとうございます。私自身、個人的には、装丁デザイン、大きさ、厚さ、内容とも、何か、「NLP バイブル」のような印象がもてるほどの本になっていると思いました。まず、この本の NLP 界における位置づけについて語っていただけますか?

K: そうですね。ある意味では、NLP 共同創始者のグリンダーとバンドラーの著書、特に、NLP の最初の書である「魔法の構造」 (邦訳書のタイトルは「魔術の構造」) などは、英語を母国語とする人々にとってもかなり難解なので、誰にでも比較的簡単に読めて、かつ NLP の基本原則すべてが一瞥できる、という意味では、あながち「NLP バイブル」という形容も大げさではないかもしれません。

NLP の入門書としては、たとえば、ジョセフ オコナーとジョン シーモア共著の「NLP のすすめ」等がありますが、この本は、演習テクニック中心で、「NLP の大原則」といった「メタ」の記述がなされていないと思います。先にメルマガでも述べましたが、NLP には「クラシック (古典) コード NLP」と「ニュー (新) コード NLP」があり、新コード NLP では、いつも私が使っている定義である「個人編集テクニック」が多数導入されていて、「NLP のすすめ」は「新コード NLP の入門書」と言えるかもしれませんが、もちろん、この種の入門書の限界性として、このような演習テクニックは、有能な NLP トレーナーの下で実際に学ばないと「頭での理解」で終わってしまって「実際の体感記憶としての理解」はいっさい得られない危険性があります。また、私はこの二人とも面識がありますが、二人とも英国人で、NLP が英国に本格的に導入された1990 年代以降の「NLP 共同開発者」で、本の内容も、確かに非常にまとまってはいますが、オリジナリティはほとんどありません。

さらに、私の理解では、古典コード NLP を基礎として、その上に応用として「新コード NLP」が乗っかって存在しているので、古典コード NLP の理解なくしては、新コード NLP を理解することは、極論を言うと、アルファベットの理解なしに英語の文を理解しようとするほどの「愚行」だと思います。そして、「Magic of NLP」をその古典コード NLP の必須入門書と位置づけることが可能なわけです。

私自身、「Magic of NLP」を基に、その後の NLP 研究と実践を継続してきているので、この本が今まで訳されていなかった日本で、(原書を英語で読むことのできない) NLP 研究家、実践家の方々が、どのように NLP に関して全体的視野をもたれて NLP を研究、実践してこれたのか、非常に大きな疑問を抱きます。私個人としては、この本は、少なくとも 10 年前には邦訳されているべきだったものと考えていて、2 年前から国内にベースを移してから、あまりにも重要な本なので私が「しかたなく」訳書を出版させていただいたくらいです。

さらに言うと、私が NLP を研究し始めた頃、NLP の「必須の入門書」が 2 冊あると言われていて、「Magic of NLP」がその一冊でした。もう一冊の書も、私が知るかぎり、邦訳されないままできています。なお、私自身、日本の市場に今後ともぜひとも紹介したい NLP 本は、もちろん多数あります。

W: なるほど。では、私の「この本は (古典 NLP を知るための) バイブルである」という理解でよろしいのですね?

K: もちろん、NLP 古典として、NLP 共同創始者著の「魔法の構造」、「ミルトン H. エリクソンの催眠テクニックのパターン」、「王子になった蛙」、「トランスフォーメーション」その他がありますが、NLP 入門書としては、その理解は正しいと思います。もしも「バイブル」という語に抵抗がある場合は、「NLP プライマー (primer、初級解説書)」または「NLP コンペンディアム (compendium、必携)」と定義した方が、より無難かもしれませんけどね。

W: 北岡先生は、誰がこの本を読むべきだと思っていますか?

K: そうですね、「訳者あとがき」でも示唆していますが、この本は、出版当初はセラピスト向けに書かれた趣きもありますが、その後、NLP 自体が、心理療法の代替学派からコミュニケーション全般を扱う一般心理学に完全変容している歴史的経緯があるので、私は、「ファシリテータ」と形容できる人々、すなわち、セラピスト、コンサルタント、カウンセラー、教師、セールスパーソン、ビジネス エグゼキュティブを始めとした、クライアントの中に成長と変化を引き起こす必要のある方々すべての「必携書」と考えています。

W: この本の帯に「世界で数百万人が学んでいる NLP」というコピーがありますが、この数字の根拠を教えていただけますか?

K: おそらく、欧米での NLP の実態を知らない方々は「これは誇大広告」であると思い、この本を読まないことを決意されるでしょうし、知っている人々は、もしかしたらこの数字はむしろもう一桁多いのではないか、と思われると思うので、このコピー自体には何の害もなく、むしろ「控えめな」真実を伝えていると自己認識しています。

すなわち、私は、16 年間会員である 英国 NLP アソシエーションの新会長から、最近会長就任の挨拶のメールをいただき、「英国で 5 万人の人々がこれまで NLP トレーニングを受けてきている」ということでしたので、この数字の意味をお聞きしたところ、「5 万人というのは控えめな数字で、場合によっては 25 万人いるかもしれない」という回答をもらいました。このことは、この「NLP 職業組合」も実態を掌握しかねるほど、爆発的に NLP が英国で広まっているということを意味していると思いますし、この数字は、正式な NLP の名前を冠したトレーニング参加人数なので、NLP の名前を使わずに NLP を教える場合を入れると、英国だけで NLP を学んだ人はゆうに 100 万人は超えていると思われます。

ちなみに、「NLP の名前を使わずに NLP を教える」ケースには、 その理論的基盤が NLP であるコーチング、あるいは、NLP を学んだ講師が行う (人材育成等の) 社内研修、個人クライアント対象のコンサルティング、カウンセリング、ファシリテーションといったビジネスの場が含まれるということを付け加えておきたいです。

いずれにしても、NLP にとって大きな市場は、米国、英国、ドイツ、南米、そして新興市場としてロシアと中国語圏の国々が挙げられますが、これらの市場で「希釈された」形で NLP を学ばれた方々の数をまとめると、あながち「世界で『数千万人』が学んでいる NLP」と言っても決して誇張表現ではないだろう、と個人的に見ています。

W: なるほど。日本と海外では NLP の状況には雲泥の差があるということですね。もちろん、海外の状況がわからない国内の人々には信じられないほど NLP が全世界で広まっているわけですが、なぜこれだけ NLP が広まってきているか、一言で説明していただけますか?

K: そうですね。この質問は、「Magic of NLP」とは直接関係ないかもしれませんが、重要な FAQ なので、お答えしたいと思います。

私が見るところ、70 年代前半に、NLP 共同創始者の二人は、カリフォルニアで「お医者さん、セラピスト等が手を焼いているような重度のケースのクライアントを治癒する商売」をしていたようです。二人は、そのようなクライアントを連れてくる家族から相応の報酬を得ていたようで、「すべての他の方法がうまく行かず、最後の最後の手段として私たちのところに来るべし」という条件を課していたようですが、この条件は、あれだけの療法的効果を達成したミルトン H. エリクソンがクライアントの家族に課した条件とまったく同じものです。ある意味では、これは、クライアント側の「絶望的コミットメント」がなければ、「療法的奇跡」はありえないことの一つの証拠です。

NLP 共同創始者の二人は、この商売で実際に信じられないようなそうとうの結果を達成したので、また、二人の共同ワークショップ等で、他の参加者の目の前で、志願者を相手にデモンストレーションを行って、何十年も苦しんできていてどのお医者さんも治せなかったような重度の恐怖症、精神的外傷を数分、場合によっては数十秒以内に治したりしたので、このような「驚愕的」な事実が口コミで爆発的に世界に広がっていったのだと思います。

ちなみに、NLP の、この「権威を蹂躙する反体制的」な性格のために、いまだに NLP が世界の大学のカリキュラムで本格的に教えられていない大きな理由になっていると思います。また、このことが、「なぜ NLP が学問的主流になっていないのですか?」の FAQ の答にもなります。

このような (いい意味での) 「客寄せパンダ」的な効果は、特にリチャード バンドラーのスタイルから派生していると、私は見ています。バンドラーは、そのワークショップで「ダーティー フォー レター」を乱発するような、非常にアクの強い、ショーマン的な方で、日本人のスタイルにはおそらく合わないかもしれませんが、しかし、バンドラーは間違いなく、「直感的な天才」です。

一方のグリンダーは、思索家、論理派で、なかなか動かないが、一度動いたらその理論武装は天下一品といった表現もできるのではないでしょうか。

この二人の組み合わせほど興味深いものはないかもしれません。英国の TV コマーシャルで昔、ピレーリ タイヤの CF があり、どんどん他のタイヤが崖から落ちているのに、一本だけ崖の縁でぴたりと止り、最後に「コントロールのないパワーはゼロである (Power without control is nothing.)」というコピーが出る、というものでしたが、まさしく、このパワーがバンドラーであり、コントロールがグリンダーであったと、私には思えます。

ちなみに、私は、タイプ的には、どちらかと言うとグリンダー的です。確かに、私には、バンドラー的な「派手なプレゼンター性」はないかもしれませんが、そのプレゼンターにはおそらく達成できないかもしれないような「恒久的」、「永久的」効果および変化を、私の、コース参加者を含むクライアントの方々にもたらすことができるという、確たる自信をもっています。

W: なるほど。この脱線に感謝します。本題に戻りますが、この本の「見所」といったものがあるとしたら、どういうものがありますか?

K: そうですね。私は、この本の左脳的な理論的説明にもすごいと思いましたが、私にとって「見所」と言える個所は 2 つありますが、二つとも何と挿入図です。

一つ目は、第一章の後半部にある、積み木を模した、神経的制約、社会的制約、個人的制約の三制約のメカニズムを説明したモデル 3 図です。この 3 図を一つにまとめた全体図は 225 ページにあります。普通、5 表出体系を意味する「4 タップル (4T)」のモデルは、それ以上説明されることはないかもしれませんが、この三制約を視覚化したこのモデル図は、非常にわかりやすく人間のモデル構築過程を端的に解明しています。

二つ目は、158 ページにある「メタ・モデル図解 No.2」です。これも、普通、NLP の「メタ モデル」テクニックは、「傾聴」テクニックとしての紹介だけで終わってしまう傾向にありますが、この図解では、クライアントの言動的行動 (「表層構造」) とその人の世界地図または内的現実 (「深層構造」) は小さな風船を膨らましていく状態と同じようにパターンと形状が相互対応しているので、ある個人の言動的行動を変更拡張すれば、その人の世界地図もそれに対応して変更拡張するというメカニズムが、見事に視覚的に説明されています。

以上のように、この 2 つの図は、NLP の個別のテクニックの理論的背景を有機的に、視覚的に説明できているという点で、特に非常に興味深いと思いました。

W: わかりました。では、今度は、この本の「欠点」にはどんなものがありますか?

K: そうですね。理論的には、この本の内容で、古く、変更しなければならない部分というのは、一点だけ追加言及点を「訳者あとがき」で指摘させていただいていることを除けば、皆無ですが、しいて「欠点」といえば、やはり「NLP 業界用語」ということになるでしょうか。この専門用語に関しては、巻末の「用語解説」を参照していただくことしか、お奨めできることはありませんが、ただ、メタ モデル テクニックのカテゴリーとして、「指示指標」、「叙法助動詞」、「普遍量化子」、「遂行者消失」が特に用語的に難しいと思われます。これらは、それぞれ、「Referential Index」、「Modal Operator」、「Universal Quantifier」、「Lost Performative」の訳語です。これらは、ごくおおまかに、日常用語を使って言い換えると「人称代名詞」、「助動詞」、「『けっして』、『一度も』等の頻繁度を表す副詞」、「該当の文を表現している主体」に置き換えられると思われます。一応、本文では、原書の表現を尊重した結果「専門用語」が使われることになりました。

後は、いくつかの誤植が存在すると思われます。一つ今指摘すべき誤植は、168 ページの「ダブル・バインド (二重制約)」で、これは本来は「ダブル・バインド (二重拘束)」となるべきところですが、本訳書の草稿原稿の最終編集段階での朱筆入れ時の不手際から、この誤植が発生しました。同じ理由で、上記の「神経的制約、社会的制約、個人的制約の三制約」の 3 つの図で「制約」とあるべきところが「拘束」になっています。誤植はまだ他にも存在する可能性がありますが、これらは、この本の増刷時に逐次訂正したいと思っています。

W: なるほど。いろいろとお答えに感謝します。この対談の最後となりましたが、北岡先生にとって NLP とは何であるか定義していただけますか?

K: 一言で言うと、「NLP は生きた学問である」ということではないでしょうか。私は大学卒業時に大学院にそのまま進んで「象牙の塔」に入れる可能性もありましたが、事実その当時の私の友人 2 人はそのまま大学院に進み、現在、お一人は佐賀大学で教授をされていて、もうお一人は早稲田大学の教育学部の助教授をされているようですが (お二人とも専攻は仏文です)、私自身は、断固としてその左脳思考の「耳年増」の道を退け、卒業式前に仏語通訳としてサハラ砂漠に飛び、その後世界最大の砂漠に通算 3 年間滞在して、「過酷な現実の生活」を「実際に」生きてみました。サハラを選んだ背景には、フランス人作家のカミュの「異邦人」のシーンがアルジェリアであり、また高校時代に私が熱狂的なファンだった大江健三郎の「日常生活の冒険」という本の副主人公の犀木犀吉が活動し、そして最後に自殺した場所が北アフリカであったことと関連していると思います。

ちなみに、最近の私は、「精神分析」的な「具体的な思考」ができず「抽象的な公式的な思考」しかできないように見られている嫌いがありますが、過去にどれだけ具体的なものを求め、それと格闘していたかを示すために、私は、大学時代フランスの作家マルセル プルーストの「失われた過去を求めて」全編を原書で読み、かつ学士卒業論文をフランス語で書いた、という事実を述べるだけで、充分おわかりになるかと思います。これだけの過去および具体的的思考の志向性のあった私が「壮大な瞑想の場所」であるサハラで得た最終的な結論は、「自分の問題は過去に『ついてどれだけ論じても』いっさい解決しない、『実際に自分を変える』ことのできる方法論以外はいっさい無価値である」というものでした。その完全なる「実用主義」と「懐疑主義」の方向性の先で、その後のありとあらゆる人間意識についての実験の後、後年私が最後に行き着いた最終地点が NLP であったわけです。

このことに関連して、NLP ユニバーシティのジュディス ディロージャがニューギニアの、非常に興味深い、智慧ある諺を引用しています。その諺によると、

「知識は、体が覚えるまでは、噂にすぎない (Knowledge is only rumour until it is in the body.)」

W: 本日は、「Magic of NLP」とご自身のことについて語っていただきありがとうございました。

K: こちらこそ、この機会を作っていただき感謝します。

W: 5月下旬から、NLPプラクティショナー認定コースの新期が東京と大阪で始まるそうですが、北岡先生の“本物のNLP”を多くの人に伝授して頂きたいと思います。今日はお忙しい中貴重なお時間をいただきまして、大変興味深いお話しを聞くことができました。ありがとうございます。「Magic of NLP」が多くの方に読まれることを祈念しております。

作成 2023/10/11