以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 136 号 (2010.2.24 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、「北岡新 NLP FAQ、その二十七」のトピックがカバーされています。

1) 北岡新 NLP FAQ、その二十七

Q63 (136): NLP の「メタ ポジション」について再考察していただけますか?

A63 (135): この点に関しては、まず、先週末で終了した第三期プラクティショナー コースの最終モジュールである出席者からなされた「『メタミラー』テクニック (ロバート ディルツが開発した、『知覚ポジション』テクニックの上級バージョンです) において、最後に第一ポジションから第四ポジションまですべて統合しますが、他のテクニックで最後のメタ ポジションまで統合することはないのに、このテクニックだけメタ ポジションまで統合するのはなぜですか?」という質問を引用してもいいかと思いました。

私自身、あることがうまくいっている以上、「なぜ」という質問はあまり意味がないと思っ ており、また、最後のメタ ポジションを見ているその上のメタ ポジションが存在するかぎり、下のレベルのメタ ポジションは相対化されるという理由から「最後の最後のメタ ポジション」が統合されることはない、という見方を取れば、充分この質問の回答になるかと思いましたが、当日、この最後の部分が私から明示化されることは なかったと思いますので、この紙面を借りて、改めてこのメカニズムを明確化しておきたいと思いました。

さらに、この質問者は、「先生は、以前、ゲシュタルト (セラピー) には『メタ』のポジションはないとおっしゃっていましたが、個人的に、最近、あることが判明しました」とおっしゃったので、私は、「確かに、含蓄的には、 ゲシュタルトは『メタ』のことを語っているかもしれませんが、明確な形で、付箋紙等を使ってメタ ポジションを置くことはゲシュタルトにはないでしょうし、さらに、第一ポジションから第三ポジションのポジションとメタ ポジションは、明らかに性質と機能が異なるにもかかわらず、同じ付箋紙で異なる論理レベルを表出しながら、あたかも下位レベルのポジションとメタ ポジションが同じ論理レベルにいるかのような『カテゴリ エラー』を恣意的に起こしている点は、ゲシュタルトにはないはずです」と答えさせていただきました。

私には、歴史的に NLP がゲシュタルトから生まれてきている以上、NLP は機能的にゲシュタルトを超えているように思えてなりません。いずれにしろ、ゲシュタルトについても、創始者のフリッツ パールズは偉大であったが、その弟子たちは彼の単なる追従者であったという「繰り返される歴史の罠」から逃れられていないような気がします。

ところで、このメタの視点は、精神世界的に言っても、極めて重要な意味合いをもっていま す。古代の印度哲学者が最重要視した「観照者 (Witness)」と NLP の「メタ」がイコールで結べることは、周知のことですし、これは、人間がいかにして自分のボックスから出て「神」の視点をもてるかという、最重要な命題と も関連しています。

たとえば、グリンダー氏著の『個人的天才になるための必要条件』でも言及されているゲー デルの「不完全性定理」は、「どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。それは、その理論体系に矛盾がないことを、その理論 体系の中で決して証明できないということであり、つまり、おのれ自身で完結する理論体系は構造的にありえない」ことを証明したもので、グリンダー氏は、こ の「理論的体系」を「表出」に置き換えて、「特定の瞬間において、生物体の神経学的活動すべてが表出されることはない。特に、[意識的状態] は、表出におけるその種類の表出を表出している者の表出を含むことはできない」と言い換えています。

どれだけ完全に純粋な「観照者 (メタ)」の状態にあると信じても、「必ず」その状態を見ているさらに上の観照者がいるはずで、この状態を『個人的天才になるための必要条件』の原題名の 『どんどん下に重なっていく無数の亀』がうまく表出しています。この原題名の意味は以下の通りです (『個人的天才になるための必要条件』の「まえがき」からの引用です)。

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ウィリアム・ジェームズは、一般的に、 アメリカ心理学の父と見なされています。彼は、あるときハーバードに招待され、自分が選んだ話題について一連の講演を行いました。これらの講演は誰でも参 加できる特別講演でした。いくらか考えた後、彼は、大胆な選択をし、最初の講演には「神の存在は証明できるか?」というタイトルを付けました。この話題 は、20世紀初頭のニューイングランド地域では、眉をひそめさせることは確実でした。

そういうわけで、彼は、講演場に聴衆が入ってくるのをいくらか心の動揺を覚えながら見守っていましたが、最後に、小柄な老女が中央の通路を駆けてきて、中央最前列に座りました。

ジェームズ教授は、いつもとおりの機知と魅力を 見せながら話題について語りました。教授は、講演を進めている間、老女は非常に魅力的で、楽しんでいるように見えることに気づきました。他の誰も笑ってい ないときに彼女が笑っている事実にも気づきました。とはいっても、すべてうまくいっているように思えました。

非常に好意的に受け入れられた講演の終わりに、 教授に会おうとする列が出来上がったのは避けられないことでした。そして、もちろん、列の最後にあの小柄な老女がいました。彼女の番が来ると、彼女は、 ジェームズ教授を明るい表情で見上げ、「ジェームズ博士、私は先生の講演を非常に楽しみました。しかし、一つ質問があるのですが」と言いました。「ええ、 どうぞ、質問をしてください」とウィリアム・ジェームズは丁重に答えました。老女は、目を輝かせて、「ええっとですね、ジェームズ博士、もし神がいないと したら、何が地球を下方に落ちるのを防いでいるのですか?」と尋ねました。

ジェームズは、即座に回答のオプションを検討 し、求心力、重力体系、といった説明的概念を考慮しましたが、賢明にも、この女性から自分が何かを学べるように回答することにしました。注目を女性に戻 し、「ご質問に答えたいとは思うのですが、あなた自身は、何が地球を下方に落ちるのを防いでいると信じているか教えていただけますか?」と言いました。

「ジェームズ博士、答えは簡単です。地球は、大亀の背中に乗っているのです。」

ジェームズは、彼女の説明の答えについてしばらく考えた後、勝ち誇ったように聞こえる声で、明白な質問をしました。「それでは、どうか教えてください。何が大亀を下方に落ちていくのを防いでいるのですか?」

老女は、「ジェームズ博士、そうではありません、そうではないのです。きりがないのです。下に向かってどんどん無数の亀が重なっているのです!」

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私は、この逸話で、永遠に後退 (前進?) する「無限のメタ ポジション」のことが象徴されていると信じていますし、私自身、最近のワークの中で、「神 = 究極のメタ」といった、数学的にも明示化できるような形で「神」を定義し始めています。(他にも、少なくとも二つ以上の「神」についての「科学的定義」を 私はもっていますが、これらについては、「口頭伝授」的な意味合いが強すぎるので、実際に私のワークを受けに来てくださった方々にのみ、口頭で伝えるとい うことに抑えておきたいと思います。)

ちなみに、『信念統合』や『NLP のルーツ』を書いていた、80 年代のロバート ディルツが「人間の意識は、脳機能の副産物として生まれる」と主張していたことを知って驚く人々が多いかと思います。

私自身は、ディルツに習って、「NLP の演習を行い、『As if (あたかも~のように)』フレームで『メタ』ポジションがあるかの『演技』をしていると、いわば『強制的』に『副産物』としてそのメタの意識が間接的に育 成されるようになります。さらに、このメタの意識を常にもち続ける訓練をすると、頭のどこかで常に今の表出者を表出しているメタの意識をもち続けられるよ うになります。これが、どのようにして我々が継続的に自分自身のボックスから出続けることができるかのメカニズムです」と言うことが多いです。


Q64 (136):
先生は、ご自分自身の「マーケティング」に関しては、どう思われますか?

A64 (136): これは、(明示的には誰にも聞かれたことのない) 興味深い質問です。たぶん、この質問に答えることで、特に私のことを「座学」としてしか知っていない人、さらには、巷に跋扈している他の NLP トレーナーもしくは団体と私との比較ができずにいる NLP 初心者の方々の私に対する「完全誤解」の払拭につながるのでは、という直感が今もてました。

まず、言うべきことは、私の NLP の習得と講義法、自分自身のマーケティング法、その他本メルマガの執筆内容を含めて、ほぼすべて、自分で「独学」で学んできているという点ですね。

たとえば、2002 年に帰国して以来、8 年近く NLP コースとワークショップを開講してきていますが、私が教えるコンテンツについて、人から指示されたことは、実質的に一度もなく、すべて自分自身の責任でパッケージ化してきています。

これは、たぶん、(比喩的に言うと) 内容的に、私に指示しようと思った方々がもっていた CD-ROM の数とコンテンツよりも私の CD-ROM の方が数もコンテンツも勝っていたので、指示のしようがなかったのだと思います。ここで、興味深いことが何点かありますね。

1) まず、 私は、いつも言ってきているように、1) 英語を含む語学、2) NLP、3) 精神世界、4) 片手でのコンピュータの小キーボード操作、の四つの領域では、自分自身を「個人的天才」にしたと言っています。この意味は、これら四つの領域では、どんな専門家が来ても、「論破」できるだけの左脳的知識および右脳的経験を備えているということです。

ここで明確に明示化しておく必要のあることは、この「個人的天才」のレベルに達するには、自分で言うのも憚れますが、並大抵ではない時間と労力をかけながら、ありとあらゆる試行錯誤を繰り返し続ける必要がある、という点です。

私のこれまでの比喩を使って言ってみれば、「360 度の中の 5 度の方向性決め」と「マジシャンの種明かし」が左脳的知識であり、「その 5 度の中を永遠に進み続ける、単調な自己適用」と「種明かし後のマジックの反復的練習」が右脳的体験と結論付けることができますが、「個人的天才」になるた めにはこの二つの方向性の両方が絶対的な必要条件となります。

2) 以上の前提でものを言うと、私は、この四つの領域で「個人的天才になるための二つの方向性の絶対的な必要条件」を満たしてきているという「客観的な自己認 識」がありますが、これもいつも言ってきているように、これら四つの領域以外のことについては、私はど素人であるとカミングアウトしてきていて (たぶん、本メルマガの読者の意識は、「北岡は自分を天才だと豪語している」という点にしか向けられず、私が自分の個人的天才性を四つの領域に限定してい ることも、それ以外のすべての領域に関しては、自分をど素人だと複数回自己告白していることも記憶からは落ちているであろう、と予想されます)、私がど素 人である領域には、もちろん、「マーケティング」も含まれます。

もちろん、「NLP は操作性を教えているわけで、マーケティングも NLP の言う『リフレーミング』 (あるいは広告業界で言う『ポジショニング』) と同じなので、NLP を教えている本人がマーケティングができないはずはない」という批判にも一理あるかと思いますが、ある領域をマスターするための努力と労力を考え (最近のメルマガで、私は、この目的には 1 万時間 (1 日 8 時間計算で約 3 年半) 必要であると指摘しています)、さらに、それだけの時間をマーケティングの学習にかけるコミットメントが私にはないので、意識的には、マーケティングの領 域ではど素人であることを選択し続けてきています。

マーケティングの領域に興味がもてずに来ている最大の理由は、私には、人を「操作」する 興味はいっさいない、という点ですね。私の NLP は、最近のメルマガでも指摘したように、「自己防衛」のための「メンタル合気道」としての方法論であり、そのようにしか人にも教えていません。

3) ということで、私は、上記の四つの領域だけは完全マスターしていて、左脳的な 5 度の方向付け (マジックの種明かし) と右脳的な、惜しみのない努力の積み重ね (マジシャンになるための切磋琢磨) の両方に興味のある方であれば、その方に、私がその四つの領域で「すべてを知り」、完全習得する過程で抽出した「個人的天才になるための必要条件 (= 公式)」を「惜しみなく」伝授する用意があり、私の帰国後のワークでは、そのことを実践してきているつもりです。

ここで注意すべきことは、私は、私の「模倣者」あるいは「追従者」を育てようとしている のではないということです。私は、四つの領域の形がまったく異なる「表層構造」を別個に完全習得する過程で、それらの別個の「深層構造」の中で共通する、 いわば、「メタ深層構造」を発見したと主張しているのであり、そのメタ深層構造の公式と法則を私から学ばれる方は、その公式と法則をご自身の (願わくば、私の場合がそうであったように、「複数」の) 専門領域の「深層構造」に適用されて、その後に、表層構造レベルで、独自のユニークで、個人的天才レベルのパフォーマンスと結果をぜひ達成していただきた いと思っているだけです。

ちなみに、このメタ深層構造の公式と法則は、もしかしたら NLP の枠を超えているかもしれませんが、その「個人的天才になるためのエッセンス」は、私の NLP 資格コースでも学習可能であり、最近の「NLP と瞑想」ワークを始めとした、私のすべてのワークの基盤となっています。特に、今後 3 月から始まる「個人的天才になるための必要条件」ワーク シリーズでは、その公式と法則が今まで以上に明示化されていくでしょうし、 「Meta Mind Work」シリーズでは、NLP の枠を超えた、私の本来の方向性の「秘教」、「神秘学」的なワークが強調されることになります。

4) このことは「オフレコ」的な意味合いもありますが、あえてここで「カミングアウト」すると、私は、たとえば、NLP 四天王のパフォーマンスを何百時間も観察し続けるだけで、誰からも NLP トレーナー、プリゼンターになるための方法論を手取り足取り教わることなく、独自の自己表現方法を築いてきていますが、その方法論で NLP トレーナーとして商業的に成功してきている以上、この方法論 (というよりも、さらに正確に言うと、私が発見してきているメタ深層構造の公式と法則のことですが) は、適切であり、証明されているものだと完全自負しています。

実は、日本に帰国した時点、あるいは、それ以前から、私のすでに発見していた方法論 (天才になるための公式と法則) はうまくという「大いなる勘違い」をしていて、帰国時以来、「私のもっているノウハウは、『磨かれていない天然石』かもしれないが、これは自動車で言え ば、フェラーリのような価値があるはずだ。フェラーリはいわゆる大衆向けではないかもしれないが、私の『商品』もフェラーリを大衆市場に売るときのような 『エグゼキュティブ プロモータ』が必要だ」という立場を貫いてきています。

正直なところ、過去、私の「商品」が売れそうだ、と思い、私に近づいてきたプロモータは 何人かいましたが、ほぼ全員、私の商品がプロモーションとマーケティングなしにすぐ売れると勘違いして、売るための努力を怠った方々か、私の商品を分解し て簡素化することで市場に大量「切り売り」販売できると誤認して、その後、私の商品の「奥深さ」と「切り売り不能性」を知って、どうしていいかわからなく なった方々でした。

思うに、私の複雑な商品と「大衆」を結びつけるためには、おそらく、私以上の、私が研究 してきた分野の左脳的 (および、理想的には右脳的) な知識が、必須だと思われますが、そのような人材 (プロモータのことを意味していますが) は国内に存在しないと思われます (海外には、間違いなくいると思われますが)。

ということで、私は、首尾一貫して、私のワークは「大衆向けではなく、玄人の『コア』な 人々向けだ」と言ってきていて (このことは、たぶん、本メルマガでは、初めてのカミングアウトだと思いますが)、さらに、この方向性を具現化できるだけの (私がど素人である領域である) マーケティングができるプロモータに出会ってきていないということだけですね。

一点、ここで、誤解を解くために言うと、私の NLP は「素人さん」の「大衆」にとって難解であるのではけっしてなくて、単に国内のメディアと教育界のマインド コントロールの犠牲となって、「自分でものを考える努力を放棄した」、「参照機構」に乏しい人々にとって難解になっているだけで、まったくの素人さんで あっても、自分自身でものを考え、さまざまな試行錯誤をしてきている方であれば、おもしろいほど理解できて、「目から鱗」が落ち続けるだろうものになって います。私の NLP が「大衆」に理解されないのは、日本人の教育のされ方であると、結論付けてもいいと思います。

ちなみに、私のサイトの表紙等の写真の印象および本メルマガの内容は非常に「難解」に なっていますが (メルマガの内容は、その参照機構がないうちは意味をまったくなさないが、私のワークを一定以上実際に受けられた後であれば、おもしろくてし方のない内容 になることは、最近のメルマガで指摘させていただいています)、実は、私に実際に会って、その人となりに触れたら、駄洒落も多発する、非常におもしろく、 ユーモアに富んでいる人だということがわかるのに、なぜサイト等での見せ方を変えないのですか、という指摘と助言をいろんな方からいただきますが、私は、 「頑なに」自分自身のプロモーション スタイルにこだわってきています。これは、現代の日本の、「広く浅い知識」を求め、見た目だけで左右されるような浅薄さを追求する「極めて危険な方向性」 に対して「警鐘」を鳴らさせていただいてきているつもりです。仮にそのような浅薄さで左右されてしまうような方々が私の非常に濃く、かつおもしろくてたま らないワークを受けられても、本当のコアの部分の私の「生き様」は、結局のところは、その方には通じないであろう、と首尾一貫して思い続けてきています。

以上のことを背景に、私は、最近のメルマガと公式サイトで、「私は、他団体で認定を受け た NLP トレーナーで、資格はもっているがテクニックを使いこなせていない方々に対する『技能ブラシュアップ ワーク』を提供することに特化したいと考えています。特に、今後、NLP 市場は国内の各地方にもどんどん拡大していくことが見込まれていますが、その各地方市場で教える NLP ファシリテータもしくはトレーナーで、(都会から離れているため) NLP 研修を受ける機会にあまり恵まれていない方々に集中的な技能向上ワークを提供したいと考えています (場合によっては、一定数の方々向けの技能向上ワークを行うために私が地方出張をすることも可能かと思います。)」と提言しています。

この方向性は、8 年前の帰国時の私のアウトカムと矛盾するものではなく、さらに、この方向性の一環として、現在、国内外の英語市場に対して、北岡 NLP、すなわち、Meta Mind Work を提言し、発信していこうと考えているところでもあります。

作成 2024/2/10