以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 新・これが本物の NLP だ!」第 120 号 (2009.11.8 刊) からの抜粋引用です。

* * * * * * *

今回は、「北岡新 NLP FAQ、その十一」のトピックがカバーされています。

1) 北岡新 NLP FAQ、その十一

Q30 (120): 先生は、よく、「中世、近代の時代では、学問が現代のように『細分化』されていなったので、レオナルド ダ ヴィンチのような『学際的天才』が生まれた一方で、現代では、各分野で習得すべき知識があまりにも多すぎるので、そのような天才は生まれなくなっています。しかし、NLP のような『天才になるための公式』を学べば、現代においても、第二のレオナルド ダ ヴィンチが生まれえます」とおっしゃっていますが、この点についてさらに説明してください。

A30 (120): この点については、まず私の CD-ROM 本『サイバーブック: 悟りのための統合的認識論』の「プレロマとクレアチュラ」のページで以下のように書かせていただいています (この引用は若干編集しています)。

「著者 (北岡) は、可能なかぎり単純で、かつ機能的なモデルを提示する傾向があります。著者は、これほどまで科学分野の部門化が高度に進んだ 20 世紀の終わりに、他の高度に専門化された科学的分野の原則を理解する手段をもち、数学の公式または言語の文法に相当する『速記式』の学習道具を獲得することができないかぎり、人類には、レオナルド・ダ・ヴィンチのような学際的な天才を生み出す機会はもはや来ないであろう、と信じています。(しかしながら、著者には、NLP がこの科学の専門化および部門化の時代に、再びこのような学際的な天才を生み出すことを可能にする最初の方法論になるように思われます。)」

すなわち、中世、近代においては、各分野で習得すべき専門知識の量は、一人の人間が充分まかなえるものであったはずで (しかし、各分野で天才になるためには、本メルマガの最近の号でも指摘してきているように、1 万時間以上の試行錯誤の学習が必要だという法則が当てはまったにしろ)、複数の分野できわめて高いパフォーマンスを発揮する天才になることもありえたはずです。

一方で、現代の細分化の時代においては、各分野での専門知識の量はすでにおそらく天文学的な数字の規模で、その習得だけに何十年もかかり、とても複数の分野において第一人者になることはまず不可能になっていると思われます。

ただ、私の過去二十年以上にわたる「個人的天才になるための必要条件」を教えてくれる NLP その他の方法論を身につければ、その道での天才または「達人になるためのコツ」を極めて短い時間内に習得することを可能にしてくれることが、判明しています。私自身、そのコツを完全習得、実践化することで、(本メルマガでも何度も申し上げてきていると思いますが) 1) 英語を含む語学、2) NLP、3) 精神世界、4) 片手でのコンピュータの小キーボード操作、の 4 つの領域に関しては、自分自身を「個人的天才」にしていて、各業界において、誰が来ても負けないほどのパフォーマンス レベルを出せていると自負しています。(このことは、別に私自身のエゴに関する自慢ではありません。なぜならば、私は、この 4 つの領域以外のこと (自動車の運転、水泳、会計、工芸、電子工学、等すべて) については自分はまったくの「ど素人」と認めることができるからです。)

また、主に NLP に基づいた、私自身の「天才になり方」の法則を抽出してきていますが、そのエッセンスは (まだ、今後、モデルをそれ以上に発展させる可能性はありますが) 拙著『一瞬で新しい自分になる30の方法』の中で「アメリカン クラッカー モデル」としてモデル化しています。(ちなみに、このモデルは、ありとあらゆる学習分野に落とし込むことができますが、実は、語学に落とし込んだ結果が、拙著『5文型とNLPで英語はどんどん上達する!』でした。両方の本ともダイヤモンド社から刊行されていますが、後者の本の方が先に出版されたという、逆の順序になっています。)

さて、その「達人になるためのコツ」について、できるだけ詳述したいと思います。

まず、非常に象徴的な事例として言うと、私がコンピュータを初めて触ったのは Windiws 95 がリリースされた 1995 年でしたが (それ以前、東芝の Rupo というワープロは使っていましたが)、そのころ、いわゆる欧米の「パソコン通信」会社だった CompuServe (国内の Nifty と提携していました) のユーザだった英国人の友人がいて、私は、彼に、コンピュータというものを知り、語るに当たって必要なことは何ですかと聞いてみたところ、彼の答えは私には、極めて興味深いものでした。それは、

「コンピュータというものを語るに当たって知っておくべきことは三つだけです。それは、1) CPU (中枢処理ユニット) の速さ、2) ハードディスクの容量、3) RAM (ランダム アクセス メモリ) の容量、です。」

というものでした。私自身、95 年に初めてコンピュータに触って以来、ごく短時間で基本操作を習得し (この過程でも NLP を自己適用しました。この習得方法は、当時、住んでいたロンドン市内の日本書店に行って、何冊かコンピュータ関連の週刊および月刊の雑誌を購入して、その付録の「Windows 95 をマスターするための 100 のコツ」といった小冊子を使って、自力でコンピュータを前に自己演習してこれらの基本テクニックを習得する、というものでした)、同様に、数週間以内に、インタラクティブ CD 教材を使って HTML 言語 (バージョン 2 でしたが) をマスターしました。その後、翌年の春都内のある翻訳会社の社長とコンピュータ関連の話をしたときに、その業界の二、三十年選手の専門家と 1 年未満の素人の私が、OCR (光学式文字読取) の話題を含めて、まともに、ごく自然にコンピュータ業界の話ができたので、自分自身仰天したと同時に、上記の友人の言質の正しさがみごとに立証されたことを実感した次第でした。

思うに、ジョン グリンダー氏も、私が 1988 年に英国で参加した「個人的天才になるための必要条件」のワークショップでも、「コア (核) な部分とフラッフィー (fluffy、綿毛のようにふわふわした感じ) な部分を分ける必要があります」と何度も力説していましたが、私にとっては、この CompuServe 関連の友人の助言以来、私が完全習得したいと思った分野において、まず最初に「最低限知っておくべき、核となる基本的法則」を見極め、その次に「その核のまわりに詳細学習内容を飾り付ける」作業を繰り返すことで、上述の 4 つの分野で自分を達人にしてきています。

この「コアな部分とフラッフィーな部分とを識別する能力」が、各分野の専門知識の習得に時間がかかりすぎる現代において、学際的天才になるための第一の必要条件であると、私は考えています。

学際的天才になるための次の必要条件は、「水平的学習から垂直的学習へ移行する」ことであると言えます。これは、「run three miles (3 マイル走る)」の英語的表現に象徴される、「一を聞いて十を知る」能力のことですが、この能力が極めて重要になることはいわずもがなであることは、本メルマガの読者も容易に理解できると思います。 (「run three miles」の英語的表現についての説明は『一瞬で新しい自分になる30の方法』にありますし、過去に本メルマガでも何度が言及しています。)

さらに、学際的天才になるため第三の必要条件として、「右手は左手の行っていることに介入してはいけない」というものがあります。 このことについては、本メルマガの第 80 号で以下のように書かせていただいています。

「ベイツンによれば、(たしか聖書の一説からの引用だったと理解していますが) 『右手が行っていることは、左手が行っていることに干渉してはならない』という原則が存在します。

ここでのこの原則の意味合いは、左脳的演繹法的作業を行うべきときに右脳的帰納法的作業を混じらせてはならず、左脳の行っていることに右脳が介入すべきではないということです。もちろん、右脳の行っていることに左脳が介入すべきでもありません。

この各脳の分担機能の不適切で不必要な介入が、一部の学習困難を引き起こしているように、私には思えます。」

以上は、左脳 (意識的機能) と右脳 (無意識的機能) の役割分担についてですが、「意識的に操作すべき部分と無意識的に絶対に触ってはいけない部分の識別区分」に関連して、非常に興味深い事例がありますので、紹介したいと思いました。

私の公式サイトは Movable Type というブロク形式で成り立っていますが、開設当時は、サイト制作会社にテンプレートを作ってもらい、専門家の指示を受けましたが、現在は、実質的にほぼすべての編集更新管理を私自身が行っています。

一番最初に、IT 専門家からサイトの更新管理方法について指示を受けたとき、その人からは「最新情報」その他の「新規エントリ」の作成のし方とホームページを更新するためのテンプレートの編集のし方を学びました。後者に関しては、その専門家から「このテンプレートのこの上部の部分と下部の部分は『触らない』ようにしてください。その間にある中間の部分のみを編集することで、ホームページ (index ページのことです) を編集更新できます」と言われました。この指示を受け、理解するために必要な時間は 5 分程度のものでした。

このとき、私にとって、このブログを管理するための「コア」な部分の情報はこれだけだと思ったので、この二つの指示だけを「盲目的に遵守」して、その他の「フラッフィー」な部分の操作は、自分なりに「試行錯誤」しながら自己学習することで、この 5 分間の講習の後、実質的にほぼ一人でブログを管理し始めました。

このことは、私にとっては、ごく当たり前の「北岡式学習加速法」を実践しただけにすぎませんでしたが、しばらくして、この専門家に会ったら、彼は「あの 5 分だけの講習でブログを一人で管理できてているのはすごい。通常、(特に中年の方々で) 1 回だけの学習ですべてをわかってしまうような人はまずいないですよ」というお褒めの言葉をいただきました。

この事例は、いろいろな興味深い局面を含んでいますが、以下に列挙としてみます。

1) 最近、ある方に、「日本人は自分自身を『誇示』する人へのアレルギーがどこかに根強くあります。 なので、『先生は凄い!』といったう表現は本人ではなく他の人に任せるというのが、 日本の普通のやり方になっています」といった助言を受けましたが、この事例に関しても、私は、私自身を誇示しているつもりはいっさいなく、誇示しているところがあるとしたら「私を天才にさせてくれた NLP を完全習得し、自分の血肉にするまで継続的に自己適用できたコミットメントと忍耐力を自分はもっていた」という点だけです。

このことは何度かメルマガ等で述べてきていますが、「日本人の習性」として、まだ私が「ほら吹き」だと「無意識的」に感じている人々が多いと思われます。 なぜならば、上記のように、私は、1) 英語を含む語学、2) NLP、3) 精神世界、4) 片手でのコンピュータの小キーボード操作、の 4 つの領域で自分を天才にした、といわゆる日本的に言う「ほら」を吹いてきていますが、「では、私の目の前で、そのことを実際に見せて、証明してください」と私に言った人は、私の記憶によるかぎり、ただ一人もいないからです!

私の実力を目のあたりに見ないかぎり、私の「ほら」を「ほら」としか見ることができないのはむべなるかなです。

ということで、本メルマガを書いていて思いついたアイデアですが、国内には「NLP は天才を作り出すためにある」というスタンスで NLP を教えているトレーナーは皆無なようなので (その理由は、教えている本人が NLP を通じて天才になりえていないからだと思えます)、今後「個人的天才になるための必要条件」 (仮題) のワークショップを開講していきたいという思いになりました。

さらに、最近のメルマガで「これら NLP の自己適用を通じて自分の技能を『完璧化』した四つの領域のうち、私のどの技能がその中でも特に最高かというと、本メルマガの読者の方々には極めて意外なことでしょうが、実は、NLP でも、精神世界でも、片手のキーボード操作でもなく (もちろん、これらの技能もすでに一定の水準以上に行っているという自信はありますが)、実は語学であり、それも、語学といっても、読み書き話し聞くのうち、『英語の文章を書く』能力です」と書かせていただきましたが、私がどのようにして NLP を通じてある特定の学習分野で自分を天才にしたかを実際に証明する目的で、このワークショップ中に、プロジェクタを使って、ある参加者がしゃべった日本語をそのまま私が右手だけで、リアルタイムで直接英訳タイプして、ほぼ完璧な英語の文章をその場でプリンタで印刷する、実演をしてみたいと考えています。(このような実演があって、初めて「ほら」が「ほら」ではなくなると、考えさえていただいています。)

2) ある学習内容を一から習得する際、予め盲目的に受け入れて習得すべき、絶対自分の意見を入れてはいけない「コア」の部分と、人から逐一指示を受けなくても、その「コア」の部分を完全習得しさえすれば、自分一人で試行錯誤して自己学習できる「フラッフィー」な部分とを識別区分することは、致命的に重要なことのように思えます。

ブログの事例で言えば、この専門家の一番最初の「このテンプレートのこの上部の部分と下部の部分は『触らない』ようにしてください。その間にある中間の部分のみを編集することで、ホームページを編集更新できます」という指示のうち、私にとって致命的に重要なキーワードは「中間の部分のみ」の「のみ」でした。(この一言が、ありとあらゆる可能性としての無駄な労力と時間の浪費を一挙に排除してくれています!)

すなわち、該当のテンプレート上には、わけのわからないタグのついたテキストがわけのわからない順序で並んでいますが、該当の中間の部分「以外のすべて」の部分は、いっさい無視していいし、「絶対に触ってはけない」部分であり、さらに言えば、私が (意識的に) 理解する必要はいっさいないものであるということを学んだので、それ以降、それらのフラッフィーな部分は私の眼中にはいっさい入っていません。(「コア」の部分は意識的部分、「フラッフィー」な部分は無意識的部分と言ってもいいと思います。)

3) 普通の人が、一度の 5 分の講習でブログを「完全マスター」できない理由は、主に以下の二つだと思います。

a) なぜ、テンプレートの中間部分だけを触ってよく、他の部分は触っていけないのか、についてあれこれ考え始めてしまう。言い換えれば、あたかも自分が、ブログの形式を作り出したデザイナーよりも頭がいいと考え、私だったら、こんな意味のないことはしない、等と「批判的マインド」を介入させてしまう。

b) 「触ってはいけない」部分に、余分な興味をもち、どうしてもタグを自己流にいじってしまいたい「衝動」を抑えられない。

いずれの場合も、「クリエイティブ」であるためには必要不可欠な要素ですが、盲目的に受け入れ、習得する必要のある「コア」な部分の学習時にこれらのことをしてしてしまうと、悲劇的結果となり、クリエイティブなどころかいつまでたっても学習曲線が上がらないままでいることは、究極の逆説のように見えます。常に適所適材的なクリエイティビティの使い方を考えている必要があります。


他にも、たとえば、「学習は広く浅くではなく、狭く深くすべきである」といった、いくつかの天才になるための (マイナーの?) 必要条件があるかと思いますが、この点については、現在、今後、私のワークでさらに明示化していきたいと思っています。


Q32 (120)
: 先生はこれまで誰をモデリングしてきましたか?

A30 (120): そうですね、いろいろな人をモデリングしてきましたね。

まず、高校時代では、架空の人物ですが、私の当時のヒーローだった大江健三郎の『日常生活の冒険』の斎木犀吉でした。このことについては、「北岡泰典メルマガ」の第 2 号で以下のように書かせていただいています。

「おそらく大江の作品で一番私が影響を受けたのは、やはり、『日常生活の冒険』です。この小説では、登場人物の卑弥子も興味深いと思いましたが、冒頭でアフリカ北海岸の小都市で自殺したことが報告される斉木犀吉にはかなり影響を受けています。

すなわち、犀吉は、単語帳のようなものをいつももっていて、どのような哲学的な質問をされてもそれを見ながら即座に答えられる青年ですが、私も、後年、そのような人間になろうとした嫌いがあります。(この斉木犀吉のモデルは、大江の義理の兄である伊丹十三であることは、いつ最近知った次第です。)

また、この小説は、アフリカ北海岸の記述もあり、後半部では、主人公たちがロンドン、パリに赴くのですが、このような場所と地域に、私は、後年実際に住むことになります。」

ちなみに、高校当時は、さらに、田舎の高校で、アナーキーな左翼運動をしていた 1 年、2 年先輩の人たちを「アイドル化」していたと告白することもできます。

私の大学時代は、「人間形成」的には非常に不毛な時代で、特に誰をモデリングしたということはありませんでした。

その後重要なモデリング対象は、1983 年に米国オレゴン州で弟子入りしたインド人の師匠ですね。このことについては、「北岡泰典メルマガ」の第 5 号で以下のように書かせていただいています。

「実際、あれだけ親と社会に対して反抗的で、人生を悲観的に見ていた若者が、現在では、その親と和解するまでになり (実は、健常者である私の妹は今だに母親を許せないでいるようですが)、人生を完全に謳歌するようになるまでの変容が、私の人生で実際に起こったのですが、このことを可能にさせたのは、私の人生において、弟子になるときに『完全自己放棄 (トータル サレンダー)』を私に求め、私にそれをさしめたバグワンただ一人です。その意味で、数年前に私が母親に『いったい誰が私をここまで変えたと思いますか?」と尋ねたときの彼女の答えの「バグワン先生ですよ』は、すべてを言い表しています。」

その後重要なモデリング対象になったのは、やはり、いろいろなトレーナーを実際に見て、自分で自己吟味してた後たどり着いた NLP 四天王です。この四人に関しては、そのワークショップおよび資格コースに参加して、参加者として何十時間、何百時間にわたって彼らのパフォーマンスを「観察」し続けました。その結果が、今の私のトレーニング スタイルの血肉になっていると思います。

2002 年に帰国した後、特にモデリングしていると言える人は、コメディアンのタモリですかね。特に、彼の、コメントが会話の内容ではなく、服装やしぐさに自由自在に飛ぶ「コンテントフリー」のスタイルは、NLP 的にも非常に参考になってきています。

何人か、私の重要なモデリング対象が落ちているかもしれませんが、以上がこの FAQ への差し当たっての私の回答です。

作成 2024/1/25