以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「旧編 これが本物の NLP だ!」第 11 号 (2004.2.25 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、徒然なるままに筆を運びたいと思います。

1. ジョン グリンダーについて

私は、最近 NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏と電子メールで交信してきていますが、その中で、いくつか興味深いことが判明しました。

まず、私は、このメルマガの第 5 号の冒頭で以下のように書きましたが、

「1995 年頃、私は英国ロンドン市で開催された NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏の 1 日間レクチャーに参加しましたが、同氏はその冒頭で以下のようなことをおっしゃっていました (これは、同氏のレクチャー内容の逐語的 転記ではありません)。

『今から約 20 年前に、私とリチャード バンドラーが、様々な帰納法的なワー ク [著者注: これは、たとえば、ビデオを何度も見直して膨大な『生のデータ』から偉大なセラピストの行動/思考パターンという『公式』を見出したという意味です] の末 NLP というまったく新しい体系を作り出し、現在、幸いなことに NLP は、教育、セラピー、ビジネス、プレゼンテーション、スポーツ、芸術、 司法など社会の数多くの分野にすでに浸透していて、今後ともほぼ全分野に深く 行き渡っていくであろうことは、共同創始者の私としても嬉しいかぎりです。ただ、私の見るところ、20 年前に私とバンドラーが NLP を創始した後、どうも 『NLP の (他の分野への) 適用』というものだけが存在してきているようで、私は個人的には、20 年前の私とバンドラーが行ったような努力をして、新しいものをクリエートする NLP 実践者が新たに出てこないかぎり、NLP は今後徐々に衰退していって、20 年~30 年後にはやがては消滅してしまう可能性があると思っています。』」

この言質について、グリンダー氏から「その通りです」という確認をいただきました。

ただ、グリンダー氏は、「NLP の適用」と対立するものとして「NLP のエッセンスとしてのモデリング」を念頭に置かれているようで、それも同氏の「モデリング」の定義は「人間の行動、特に人間パフォーマンスの卓越性についての、最先端の、効率的なモデルを構築すること」であるようです。また、その方法論の定義は非常に狭義で、「NLP 共同創始者の 2 人が、『魔法の構造』や『ミルトン H エリクソンの催眠テクニックのパターン』等で、フリッツ パールズ、ヴァージニア サティア、エリクソン等の卓越したセラピストをモデリングしたときに採用した方法論」を指しています。すなわち、NLP 共同創始者は、自分をまず深いトランスに置き、その変性意識状態で、モデリング対象者が達成していると同じレベルのパフォーマンスを、本人が達成できる時間内に、無意識的に達成できるようにした後 (ところで、この方法は「DTI (ディープ トランス アイデンティフィケーション)」と呼ばれています)、意識的にそのパフォーマンスの効果とは無関係ないろいろな (行動モデリング上の) パラメータを落としていった後、モデリングの効果と関連している最小限の数のパラメータだけを残して、それらの最小限数のパラメータをパッケージ化することで、最終的に、他の人々がモデリング対象者と同じレベルのパフォーマンスをその人と同じ時間内に達成することを可能にさせるような、意識的に学習することができる一式の手順 (ツール) に明示化するという方法論を採用しました。

この意味合いは、グリンダー氏は、人間の行動選択肢を増やすことを決定するのはその人の無意識的マインドであって、その人の意識はもともと制限されているので、意識的マインドが考えつく行動選択肢は、もともと非常に限定されていることになる、という考えに基づいているということです。

この観点から、グリンダー氏は、現在も NLP 初期のテクニックの「メタモデル」や無意識的マインドとのコミュニケーションをベースにした「6 段階リフレーミング」といったテクニックを重視されているようで、ネガティブなアンカーとポジティブなアンカーの統合テクニックは、(ポジティブな状態を想像するのは限定された意識である、という理由から) それほど評価はされていないようです。

また、グリンダー氏によれば、あるテクニックが NLP テクニックとして「認定」されるためには、1) 有用であること、2) コンテンツ (内容) パターンではなくプロセス (過程) パターンを扱っていること、の 2 つの条件が存在します。この観点から、グリンダー氏は、ロバート ディルツの「心身論理レベル (Neuro-logical levels)」等に疑問をもたれているようです。

私自身は、1988 年にグリンダー氏とジュディス ディロージャにマスター プラクティショナーとしてのトレーニングを受けた後、いわば、極微とも言える意識的なマインドが決定するアウトカム (目的) だけを追求して、数年間意識的に複数の NLP 編集テクニックを続けることによって自分のトラウマ等を完全克服し、自分の「人格」と行動/思考パターンを完全に変えることに成功したという経緯があるので、この「無意識のマインドにすべてを委ねる」という立場は、原点に戻ることになると同時に逆説的な新鮮さを感じます。

(ところで、このように、過去に自分自身に「徹底的に NLP を『自己適用』した」私を、そのような NLPピアはあまりいない、という意味から、グリンダー氏からは評価していただきました。)

このような自分を深い変性意識に置いて、行動選択肢数の拡張を無意識のデーモン (小悪魔) に委ねるといった催眠的な志向性は、実は、1980 年代初めに 2,000 時間近くの心理療法を経験していたときの私のマインド セットに近いもので (この雰囲気は、「ダークサイド」の絵ばかりを収集して研究対象にした、トランスパーソナル心理学者のスタニスラフ グロフの何冊かの著作を思い出させます)、その後は、意識的に「健康な成長」のみを求めてきた嫌いがありましたが (過去のトラウマ的体験があまりにもひどかったので、いったん解放された後はあまり後を振り向きたくない、というのが主な理由だったと思います)、しかし、それでも、さらなる「アイデンティティの拡張」のために、再度催眠の志向性に戻る用意が今あります。

その手始めとして、グリンダー氏とバンドラー氏が初めてエリクソンに会ったときにアリゾナ州フェニックスまで持参したという彼らの当時の「バイブル」である『催眠とセラピーの上級テクニック、ミルトン H エリクソン選集』をアメリカの古本屋さんから一冊購入、取り寄せました。この本は 1967 年の出版後ずっと絶版になっているようで、その後、アーネスト L ロシ編の『ミルトン H エリクソン全集、全四巻』が出版されていますが、この絶版書は、エリクソンのベストの部分だけを凝縮しているという意味で非常に価値があると思います。(また、実質的に、エリクソンの名前が世の中に広く知られるきっかけになったのは、この本の出版だったという歴史的価値もあります。)

ところで、この本の編者のジェイ ヘイリーについては、おもしろい逸話があります。すなわち、この本は、NLP 共同創始者の二人の「バイブル」だったわけですが、彼らが『魔法の構造、I』の草稿を書き上げたとき、その原稿を受け取った出版社は当のヘイリーに送ってその専門的な意見を求めましたが、ヘイリーは、『魔法の構造』はあまりにもナイーブで、かつ過去 20 年間のベイツンの業績を全く無視している、という理由から出版社に本の出版を見合わせるようにと助言しました。ところが、当のベイツンは、その後出版されたこの本の序文で、バンドラーとグリンダーは自分たちが 15 年前に達成しようとしたことを達成した、自分たちがもっていなかったツールを二人はもっている、と賞賛しているので、いわば「赤恥」をかいたヘイリーからは、その後いっさいグリンダーとバンドラーには連絡がなかった、ということです。(もちろん、ヘイリーは、ベイツンが指導していたパロ アルトのメンタル リサーチ インスティチュートの研究員だったので、ベイツンとヘイリーは師弟関係にあったと言えます。)

2. 脳のリバース エンジニアリングと脳梁の活性化

本メルマガの第10号で、私は以下のように書きました。

「グリンダーとバンドラーは、...悪循環に陥っていて、常にパニック状態になってしまう人々を見て、その人たちは、外的環境の条件がどのようなものであれ、常に一定の『パニック』という外的及び内的行動を、いついかなるときにおいても首尾一貫して発揮できるという意味において、どの球場のマウンドに立っても常にコンスタントな成績を上げられるプロの天才的な投手のケースと同じように、そのようなパニック患者は一種の『天才』ではないかと見始めました。(この発想の転換は、NLP では『リフレーミング』と呼ばれています。) その上で、グリンダーとバンドラーは、そのような患者が、それまで不適切な内的体験にアクセスするために使っていたまったく同じプロセスを使って、今度は本人の行動の選択肢がさらに広がるような、今までとは異なる、さらに適切な内的体験にアクセスすることが可能になるように支援して、パニック症状を克服することを可能にしました。すなわち、同じプロセスを使って、悪循環を『良循環』に変えることが可能になったのです。」

このことが意味することは、どの人間もすべて同じ現実の中で生きていて、同じ人間としての神経学上の制約に規定されて「世界についてのモデル」を構築している以上、誰でも「天才」になりうるし、誰でも「愚者」になりうるという、非常に「平等博愛」的な態度です。たとえて言うと、同じ料理の材料を使う場合の凡人の料理人と天才の料理人の違いは、何をどうのようにどの順序で使うかというレシピーにしか見つからないことになります。

私自身、幼児期、青年期を通じて、自分は「誰も絶対抜け出たことのないような蟻地獄の中に落ちている」という意識をもち続けていて、そのような絶対脱出不可能な「地獄」から奇跡的に自力で抜け出した人々 (すなわち、いわゆる悟りを開いた人々のことです) が世の中には実際に、数は少ないながら存在してきたことを知って、勇気づけられはしたものの、実際の方法論については見当も付きませんでした。

言い換えれば、人間は生まれたときは、イギリス経験論者のロックが言ったように「タブラ ラサ (生まれたとき人間は白紙で、すべての認識は経験に基づいて学習される)」であるので、私自身、子供のときに、自らであれ人 (たとえば親) から強要された形であれ、一度は自分で新しい思考パターン (プログラミング) を自己学習して、いわば当初は「意識的に」上記の蟻地獄に入ったのですが、いかんせん、一度入った後は、自己学習を無意識化して、どうそこに入ったかをまったく思い出せずにいましたので、このことこそが、私がその蟻地獄から抜け出すことのできなかった最大の理由でした。

青年期以降、私は、かなりのお金と時間を投資して「人間意識」を研究/実験し、セラピー、瞑想、催眠、変性意識等に関連した現存の方法論のほぼすべてが「蟻地獄脱出法」の手段としては不十分であることを認識した後に、真に革命的な自己変革の方法論としての NLP に行き着いたわけですが、なぜこの革新的「コミュニケーション心理学」だけが最終的に、私が自力で蟻地獄の底から這い上がり、完全脱出することを可能にしたか、のそのメカニズムについてよく考えてみると、NLP は、私が、子供のときに自力で蟻地獄に入った、そのときの脳のプログラミング習得時のプロセスの「リバース エンジニアリング (逆行分析)」を可能にしてくれて、これゆえ、自分が蟻地獄に入る前の自分 (タブラ ラサ) までリセットでき、その地点からもう二度と蟻地獄に入らないような行動/思考パターンだけを常に意識的に選択し、身に付けることができるようになったということがわかりました。

つまり、脳のリバース エンジニアリングを (もちろんエンジニアリングそのものも) 可能にさせてくれる NLP を使えば、「誰」でも、その望むように「天才」にも「愚者」にもなれる、と言うことができます。古くから、偉大な瞑想家は、「不幸になるのも、幸福になるのも、すべて自分次第で、自分自身が自分の境遇を作り出している」と (その解決法は提示しないまま) 説いてきていましたが、その具体的な方法論 (脳のリバース エンジニアリング) を人類に初めて提示したのが NLP です。

NLP は確かに「万能薬」ですが、それを学習する (すなわち、新しい行動/思考パターンを身に付ける) には、「それなり」の努力が必要です。しかし、NLP は、この方向に行けば間違いないという道を示してくれるので、NLP の道を歩み出した人々の努力は、必ず報われるようになっています。(ある意味では、自分の「努力」の度合いと自己変革の度合いが正比例するので、逆に言い訳がまったくできなくなってしまいます。)

私自身、学生時代は、左脳 (デジタル世界) に入り込んだ人間で、その自分を変革しようとして、可能性としての象牙の塔の大学院等の道を選ばずに、大学卒業と同時にサハラ砂漠に行って「現実世界にもまれる」道を選びました。その後は、左脳思考の方向性も維持しながらも (このメルマガを読んでいただけたら、私がどれだけ左脳志向であるか、一目瞭然だと思います)、私の人間意識の研究での、あるものの真の価値を評価するための基準は、それが「実際に私の行動と思考を変革するか?」というものでした (ちなみに、この評価基準は、グリンダー氏の、NLP テクニックに関する「有用性」の基準とほぼ同じものと考えられます。)

この評価基準は、「頭で理解する」、「耳年増になる」等とはまったく対立する側にある基準なので、右脳志向と定義できると思いますが、私は、過去 20 年に渡って、理論的な左脳志向と、実際の人格/行動/思考の変革を求めるという右脳志向の両方を同時に求めてきたので、NLP を学び、実践する中で、いわゆる「脳内麻薬」と言われているドーパミン、エンドルフィン等が多量に自己生成することで、常に自分の精神状態を高揚させることに成功してきていると同時に、左脳と右脳を結ぶ中央部の器官である「脳梁」がかなり太くなってきていて、左脳学習と右脳学習の情報の相互交換/統合がますますうまくできてきているようにも感じます。(通常は、女性の脳梁の方が男性よりも太く、マルチ タスク プロセッシングにより長けている、と言われています。)

最近、私はある方から「あなたは非常に理論的で、左脳志向ですが、仮に直感に頼ったら、他の人が真似できないほど極度の右脳志向にもなれる人ですね」といった意味のことを言われたことがありましたが、この方の指摘はそれほど外れていないと自分では思います。

3. VAK 述語選択

私は、それまで英国にあった私の活動ベースを 1 年半前に一部日本に移しましたが、本メルマガの第 2 号でも示唆しましたが、日本人の自国語の使い方、自己表現の稚拙さに、ますます気づくようになっています。(ちなみに、それゆえにこそ、現代日本人に緊急に必要とされているのは、コミュニケーション心理学の NLP であるという私の確信はますます深まってきています。)

特に、テレビ等で一般の方々の普通の日本語を聞くとほぼ 100%、「なんか」、「やっぱり」、「ちょっと」、「みたいな」、「という中で」というまったく意味のない曖昧語が多発され (もちろん、日本社会では、断定的な言い方をできるだけ避けるというメンタリティはある程度まで理解できます)、さらに、必ずと言っていいほど「~みたいな感じで」、「~という気持ちがします」という、NLP で言う K (フィーリング) の触覚体系に関連した述語選択が使われています。(「VAK 述語選択」とは、ある人が V (視覚)、A (聴覚)、K (触覚) 体系に関連した 3 セットの述語表現のうちどれを最も多用しているかに気づくことによって、その人が「視覚型」、「聴覚型」、「触覚型」のいずれかであることを判定する NLP テクニックです。「視覚型」の人は「イメージとしてよく見える」「焦点を合わせる」、「聴覚型」の人は「よく聞こえる」、「リズムがいい」といった述語選択をする傾向があります。) このことは、日本人は、物事を思考したり、決定したりする際に、西洋人のように論理的マインドを使わずに、常に自分の中で「どう感じるか」、その体性感覚 (K) に依存している傾向が著しく強いことが示唆されているように思われます。

現在、日本の若者の間で日本語が乱れてきている、といったことをよく耳にしますが、このようなことはむしろ、いついかなる時代にも普遍的に起こってきたことだと思えますので、さらに抜本的に深刻な問題は、本メルマガの第 7 号の最後でも示唆したように、21 世紀以降のこのグローバル コミュニケーションの時代に、どのように西洋人と対等以上に自己表現ができるか、という、おそらく日本人のサバイバル自体にも関わってくる、急迫した問いだと思います。

なお、国内のテレビのアナウンサーは、上で指摘したような曖昧語、触覚体系述語選択はなるだけ使用しないように訓練されていることを指摘するのは面白いですし、また非常に深い意味があります。すなわち、この事実は、訓練次第では、どの日本人も「まともな日本語」を話せる能力がある、ということを示唆していて、それを可能にしていないのは、「能力」レベルの問題ではなく、むしろ「断定的表現はよくない」といった「価値/信念体系」のレベルでの制約的な考え方に起因していると言えると思われます。(「能力」、「価値/信念体系」のレベルについては、本メルマガの第 7 号で解説されているロバート ディルツの「心身論理レベル」を参照してください。) たとえば、英国では、いい意味にも悪い意味にも、道行く人々のほぼすべて、そして (この国と比較して特に顕著に) すべての政治家が、テレビのアナウンサーのように喋るように訓練されています、あるいは少なくとも、その努力を必ずしているようです。(ちなみに、英国では、弁の立たない人々は、もともと政治家になれないようです。)

4. 最速の内的状態コントロール法

私はよくワークショップで、「最も速くできる内的状態コントロール法としては、おそらく自分が『落ち込んでいる』ときは、NLP の眼球動作パターンにしたがって、目が自分の右下を見ている可能性が高いので (右下を見ることで人間は、自分のフィーリング (K) にアクセスします)、そのときは、意識して自分の右上を見るようにすれば (右上を見ることで人間は、構築視覚イメージ (Vc) にアクセスします)、かなりの確率で (右上を見たときの構築イメージの内容にも依存するので)、即座に、その落ち込みの状態から抜け出すことができます」と言っていますが、おそらく、この方法よりもまだ速い内的状態コントロール法があることを最近再認識しました。

すなわち、前号のメルマガの FAQ32 で、4T (4 タップル) のコンセプトが紹介され、内部生成の 4Ti と外部生成の 4Te があることが指摘されました。(詳細は、前号のメルマガを参照してください。) この極度にシンプルで、しかし意味合いが極度に深いコンセプトは、たとえば、瞑想者にとって ABC の入門テクニックにもなりうるものですが、さらには、「人間のありとあらゆる問題は、すべて、過去の情報である 4Ti を前提にしないと存在することが不可能である一方で、『今ここ』にいる自分が実際に外からリアルタイムで入力される生の情報としての 4Te には、問題が存在しえない」という『この曖昧にして明瞭なるもの』の立場から言うと、自分が問題をもっていると思うときは必ず 4Ti の内的経験をもっていることになるので、そのときはいつでも意識して、今ここで起こっていることに気づく 4Te の内的体験をもつことで、瞬時にその問題は自分の意識からはなくなってしまうことになります。4Ti/4Te の切り替えは瞬間的に起こりえ、眼球を右下から右上に動かす時間さえもいらないので、おそらくこの方法が最速の内的状態コントロール法であるように思われます。

作成 2023/10/8