以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「新編 新・これが本物の NLP だ!」第 74 号 (2016.5.9 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、以下のトピックがカバーされています。

1.「自己啓発難民」から「成功哲学者」に変わる奥義発見!
2.「ノーマインド」 -> 「マインド」 -> 「メタマインド」のイラスト化

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1.「自己啓発難民」から「成功哲学者」に変わる奥義発見!

私は、最近の「新北岡遇辺メルマガ」第二号 (http://www.guhen.jp で「クローズド会員制クラブ」 (「北岡遇辺ブログ」) の無料会員になれば閲覧可能です) で、「自己啓発難民」について語らせていただきました。

「自己啓発難民」は、「セミナー オタク」とほぼ同義語かとも思いますが、「自己啓発難民」の反対語は「真の成功哲学者」かと思っています。

要は、「持っている人 (真の成功哲学者) は必ず成功」し、「持っていない人 (自己啓発難民) は失敗を続ける」ということなり、私も 1983 年に私の精神主義の師バグワン シュリ ラジニーシ (OSHO) に会うまで、あるいは、1988 年に NLP に出会うまでは、「絶対に成功しない人」だったと自己断言することができます。

私は、師匠と NLP を知り、個人的には、並大抵でない修行をした後、自分は「持つ人」に変わった、という自己認識があり、2001 年の帰国後、特に NLP を始めとする自己啓発業界には、「絶対に成功しない難民」(「セミナー オタク」) が無数にいることを知り、びっくりしました。その中で、過去 15 年間の私の国内でのワークを通じて、ずっと、「自己啓発難民」と「真の成功哲学者」の違いをマッピングできないかと思ってきていましたが、最近、昨年 6 月に発見した極めて重要な思索家の後に発見した VIP 思索家 (この方については、今後、「新北岡遇辺メルマガ」で情報公開していきます) の教えを研究する過程で、このマッピングができるようになりました (!)。

以下の表で、左側の要素が「自己啓発難民」に関連していて、右側の要素が「真の成功哲学者」に関連しています (ほぼ完全なマッピングになっているのでは、ないかと自負しています)。

「自己啓発難民」と「真の成功哲学者」の相違相関図

三日坊主新しい習慣の永続化
「魔法の杖がほしい」「努力を惜しまない」
「隣の芝生はより青い」「皆、人間は同じ」
「自分のいいところだけ見ていたい」「自分の弱点も認められる」
二元論非二元論
五感の世界を信じる五感の世界を無視できる
現実と非現実があると信じているすべて仮想現実だと知っている
大いなる勘違いができない大いなる勘違いができる
プログラミングの犠牲者プログラミングの操作者
ボックスの中ボックスの外
現象界観照者
自分のアイデンティティの絶対化自分のアイデンティティの相対化
他者依存・他力本願独立・自力本願
反応 (同じことの繰り返し)創造
記憶想像
結果意図
コンテントプロセス
マインドメタマインド

(上図は、http://www.kitaoka.co/1605/table.jpg にも画像としてアップしています。)

以上の表には、私が、別途場を設けて、詳細に説明する必要のある項目もあると思いますが、以下の極めて重要点 8 点を指摘させていただきます。

1) この 18 の項目について、自分が左寄りの考え方をしているときは、まず間違いなく、その瞬間、自分は「自己啓発難民」モードに入っている、と認識すべきです。

2) ある人間が生来的に「自己啓発難民」あるいは「真の成功哲学者」であるのではなくて、常に、どちらかのモードを選んでいるだけで、その「無数の選択の蓄積と積み重ね」としての「思考の癖」によって「自己啓発難民『的』」あるいは「真の成功哲学者『的』」な人間が作り出されているだけです。

3) 上記の 2) の選択は、瞬間瞬間において、個々人が独自に、完全に、無条件的に自由に行っている選択であって、馬を井戸に誘導することはできますが、その水を飲むか飲まないかは、まったく、その馬の完全自由意思です。

4) 実を言うと、私のこれまでの NLP ワークは、この図の「左側から右側に行く『癖』をすでに身につけた方々」向けのワークでしたが、(NLP 学習以前の問題として) その行き方がわかっていない人々には、私のワークの効果は限定的だった、ということがみごとに判明します。

5) 上述で、「最近、昨年 6 月に発見した極めて重要な思索家の後に発見した VIP 思索家 […] の教えを研究する過程で、このマッピングができるようになりました」と書きましたが、この VIP 思索家に出会う前までは、仮に「この図の左側にいることがわかるたびに、右側にモードを即変えることが最重要である」とわかっている人がいたとしても、私は、その人々に「モードを瞬時に変えることができるノウハウ」を提示することはできなかったと思いますが、この思索家の方法論でそれが可能になっている、と指摘することができます (このノウハウについては、今後、「新北岡遇辺メルマガ」で情報公開していきます)。

6) 上記の図を常に念頭に置きながら、各項目の基準に照らして、自分が「左側のモードの『罠』にはまっている」と気づくたびに、この VIP 思索家が提唱する方法で自分を「『本来の自分』である右側のモードに戻す」ことができれば、永続的な「自己啓発難民」が永続的な「真の成功哲学者」に自己変容する、と私は考えています。

7) 上記の図式と「モードを瞬時に変えることができるノウハウ」は、おそらく「奥義中の奥義」かと思いますが、このことによって救われる「自己啓発難民」が千あるいは万単位でいるはずなので、私は、あえて公開することにしました。ただし、あまりにも「恐れ多い」ので、無料で会員になれる「クローズド会員制クラブ」 (「北岡遇辺ブログ & メルマガ」) での限定公開とさせていただきます。

8) この表のタイトルは、「自己啓発難民と真の成功哲学者の相違相関図」になっていますが、「人生の成功哲学」の観点から言えば、実は、右側の要素のモードにいるときは、「いっさいのプログラミングに支配されていない『純粋意識としての本当の自分』を体験している『自由』な状態」で、左側の要素のモードにいるときは、「純粋意識としての本当の自分が幼児期からの教育とプログラミングの末に、『自己催眠』にかかり、自分は『制約』された自分だと信じるようになっている状態」であると、言い換えることが可能です。

以上の内容に興味があれば、以下で会員登録してください。

http://www.guhen.jp

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2.「ノーマインド」 -> 「マインド」 -> 「メタマインド」のイラスト化

私のワークは、「メタマインド ワーク」であると規定できますが、トランスパーソナル心理学者のケン ウィルバー等がユングに基づいて提唱した「前自我」 -> 「自我」 -> 「超自我 (超個)」の図式に倣って、「ノーマインド」 -> 「マインド」 -> 「メタマインド」の図式を使ってきています。

まず、ウィルバーの言う「前自我」の段階は、「自分」と「他者 (外界)」が未分化の状態で、まったく機械的、動物的です。これは、ある意味、「無意識的至福」あるいは「失われた楽園」の状態です。これは、「ノーマインド」に近い状態です。

そして、悲しいことですが、人間は子供の段階から成長するにつれて、 「自分」と「他者 (外界)」を分離し始めて、「ここまでは自分」、「それ以外は他者」というふうに「自我」に目覚め始めます。我々意識的な人間は、ほぼすべて、この段階にいると言っても過言ではないと思います。これは、「マインド」の段階です。

そして、次の段階は、その分離した「自分」と「他者 (外界)」をもう一度融合させる段階です。これは、自我と他者が再統合することで生まれる「意識的至福」の状態と言ってもいいのかもしれません。このレベルは、「超個 (すなわち、トランスパーソナル)」レベルと言われています。この段階を、私は、「メタマインド」と呼んでいます。

ここでウィルバーが問題にしているのは、「自然または宇宙との一体化」を唱えている精神世界の人々がたくさんいますが、そのほとんどは、「自然または宇宙との『無意識的』融合」すなわち「子宮の中の未分化の至福状態」という「前自我」への退行をしているのではないかという点です。

真の意味での自我と他者という「二元論」の融合は、自分と他者との分離という悲哀を経験した「後」、もう一度その分離を意識的に「再」統合することです。

このことを達成するためには、喜びと悲哀の両方が見え、かつ、その両方を超えた状態が「至福」であることを認識できる「メタ (= 超越した)」の「観照者」の視点が必須となります。

非常に興味深いことは、私の師匠のバグワン シュリ ラジニーシ (OSHO) は、「観照者」の重要性については、極めて頻繁に語りましたが、私の言う「三つのマインド」のうち、「メタマインド」については、ほとんど語っていないと思います。たしかに、「超意識」については言及していますが、ノーマインドとマインドの二元論を超えた「非二元論」としてのメタマインドについて語っているのを、少なくとも私は読んだことも聞いたこともないです。

(ここで指摘すべきことは、私が徹底的研究をしたシャンカラチャリヤ (インドでは、仏陀、シャンカラチャリヤ、ラーマクリシュナを「三大聖人」と呼ぶことがあるようです) が主張したブラーマン (宇宙原理)とアートマン (真我) の同一性を唱える「梵我一如説」は「アドヴァイタ ヴェーダンタ」と呼ばれていますが、この「アドヴァイタ」とは、「非二元論的」の意味であって、あくまでも「一元論」ではない、という事実です。)

その中で、私の「メタマインド」ワークは、「メタマインド」の参照枠がない瞑想家の方々には、いわば左脳的な「マインド ワーク」としてしか理解されない可能性があることが、私の長年の深刻な問題でした。

事実、OSHO タロット カードの「Mind」 (以下のリンクを参照) は、頭の中が「邪悪な思考?」でいっぱいになっている様子が表されていて、常々、私のワークを実際に知らない人々は、私の頭の中もこうなっているのだろう、とかってに思われているのではないか、と思ってきていました。

http://www.kitaoka.co/1605/mind.jpg

この中で、もし私のワークを理解できるようなイラスト デザイナーの方がいれば、その方に、この「Mind」以前の「No Mind」とそれ以降の「Meta Mind」の状態を表す二枚のカード イラストを個人的に制作してもらいたい、と数年以上にわたって思ってきていました。

実は、最近、そういう CG グラフィック デザイナーの女性と知り合いになる機会があり、無理を承知で、この二枚のカードをイラスト化していただけないかリクエストしたところ、快諾していただきました。

以下が、その「ノーマインド」 -> 「マインド」 -> 「メタマインド」のイラスト化です。

(上図の画像は、http://www.kitaoka.co/1605 でも閲覧可能です。)


個人的には、私が言いたい「メタ マインド ワーク」の意味合いがみごとに視覚化できていると思っています。

このプロのデザイナーによるイラストによって、私のワークに対する誤解が少しでも払拭されればと願っているところです。

以上の内容に興味があれば、以下で、「クローズド会員制クラブ」 (「北岡遇辺ブログ」) の無料会員登録してください。

http://www.guhen.jp

ではよろしくお願いします。

作成 2023/1/13