以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「新編 新・これが本物の NLP だ!」第 52 号 (2015.11.6 刊) からの抜粋引用です。

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今回は、以下のトピックがカバーされています。

1.「コペルニクス的転換」質疑応答 (驚異中の驚異の発見あり) その2

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1.「コペルニクス的転換」質疑応答 (驚異中の驚異の発見あり) その2

最新情報 1: 「現実という名のロール プレーイング ゲーム」半日ワークの開講が決定しました。詳細は、以下のメルマガにあります。

http://www.kitaoka.co/magazine/new/new_054.htm

なお、同じ情報が Facebook にもあります。

https://www.facebook.com/events/430528737153330/

最新情報 2: 北岡の「『コペルニクス的転換』の大発見のまとめ」が以下にアップロードされています。まず、このまとめをお読みください。

http://www.kitaoka.co/magazine/new/new_053.htm

最新情報 3:もっとも最近私の個人セッションを受けた方から、以下の「衝撃的な感想」が来ています。

「今日は、爆発しましたね。
今までのセッションの中で、最も衝撃的でした。
また、今まで理想の現実化について腑に落ちていなかったところがストンと落ちた感じです。
そう、無限のポテンシャルを感じました。
今後これらのワークをやり続けて、現実と思われていたマーヤがどう変化するか楽しみです。
ただ、思ったのですが、これを極めれば、他のワークは必要ないのではないですか?
今後のセッションどうしましょう(笑)」

先号のメルマガでは、「コペルニクス的転換」の発見に基づいた新しいワークを施術させていただいたクライアントの方との質疑応答を引用させていただきましたが、今号では、引き続き、質疑応答その2を抜粋引用させていただきたいと思いました。先号の末尾にある北岡の応答に続く追伸から始まっています。

以下、「>>」引用句がある部分がクライアントの方のコメントです。

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追伸:実は、上に「驚異中の驚異の発見」と書きましたが、さらに驚異の発見がなされました。

私は、常々、「NLP は、セラピー、催眠、瞑想、化学的意識の実験等をしまくった人々が、それらの意識状態をモデリングして生まれたショートカットの方法論なので、『前 NLP』の方法論を実際に経験していないと『本物の NLP』の意味合いはわからない」、「アンカーリングは、レモンの味を知らない人の中にレモンの味を生成できない」ので、セラピー、催眠、瞑想、化学的意識の実験等の泥臭いワークは、自分で行ってください、と言ってきていましたが、もし仮に、そのような泥臭いワークをやりまくった後の経験、洞察をモデリングして、公式化できたら、必ずしも、そのような泥臭いワークを行う必要がなくなると思えます。

この意味で言うのですが、私が 1980 年代からの長年の泥臭いワークの末に両脳的に認識し、完全に腑に落ちた洞察は、「人間の人生には選択点がある。各選択点で、無意識的に行動選択肢を取ると、同じつまらない人生を繰り返すことになり、各選択点で、意識的、無意識的に行動選択肢を変えることができたら、必然的に、自分の人生はさらにさらにエキサイティングで、スリリングで、マーヴァレスなものになっていく」というものでした。この洞察が「血肉の皮膚感覚」に落とし込めたときに、私は、セラピー、催眠、瞑想、化学的意識の実験等の泥臭いワークから、ある意味「卒業」しました。そのときに、NLP の真の偉大さを知りました。

(ちなみに、上記の「選択点で、意識的、無意識的に行動選択肢を変えることができたら、必然的に、自分の人生はさらにさらにエキサイティングで、スリリングで、マーヴァレスなものになっていく」がスティーブン コヴィーが言う「刺激と反応の間にスペースがある」の意味です。)

ということは、もしかりに、私が、セラピー、催眠、瞑想、化学的意識の実験等の経験のない日本人の方々に、「刺激と反応の間にスペースがある」ことを「血肉の皮膚感覚に落とし込む」ことを可能にするようなユニークなワークを提供できれば、その方々は、泥臭いワークを経なくても、NLP の面白さにはまり、「自分の人生をさらにさらにエキサイティングで、スリリングで、マーヴァレスなものにしていく」 (これが、「個人的天才性」の意味合いです) ことができるようになっていくはずです。

幸いなことに、最近私が自己モデリングして、独自開発してきている「幼児退行を使った NLP 演習」、「アーケタイパル チャンキング」、「NLP を現実に落とし込む演習」、および本メルマガの第 44 号で紹介させていただいた「神の体験を創出できるアファメーション」等を通じて、私は、資格認定コースを開講していたときには達成できなかった、この野心的な試みを達成できるようになっていると思っています。

これは、主に、最近、個人セッションに特化し、個々人のクライアントの質問と要望とニーズに親身に対応するになって、初めて、私と「普通の日本人」のマインドの働きがどのように違うのかが、手に取るようにわかるようになったからです。


>>文章拝読しました。
>>これは、ようやくNLPについてわかってきた自分にとっては、
>>非常に貴重な内容で、わかりやすいです!!
>>
>>貴重で、どれもコンテンツのインパクトが半端ないので、ちょっと整理したいです。
>>
>>これは、残念ながらNLPのド初心者やNLPを誤解してわかった気になっている人には
>>もしかしたら「何を言っているのかよくわからない」となる可能性がありますが、
>>北岡さんのセッションをある程度受けた人なら、
>>この文章はかなりインパクトあると思います。
>>
>>このいわゆる人生をロールプレイングゲームという感覚は、
>>一見「人生」という崇高なものに対して、軽率なとらえ方だという
>> 意見もあるかもしれませんが、
>>選択点で自由に選択できるようにする技術は、ハンパないです。
>>
>>まさに、言葉通り、日本人のパンドラの箱を開くことになりますね。。。!


お世話になっています。

私に 1988 年に起こった「内的革命」が起こり始めているのではと思えます!!!!!

これを、私は、日本人に起こさせたくて、2001 年に日本に「わざわざ」帰ってきたのです!

ここまで来るのに、14 年 (たかだか 14 年ですかね (笑) ) かかりましたが、これで「打ち止め感」 (= いつ死んでもいい。私のライフワークの体系がほぼ完成した) があります。

これで、日本に内的革命 (実は、50 年遅れたヒッピー/カウンターカルチャーの「日本到来」です!) を起こしたいと思います。

これで「自己啓発系/NLP」 (ついでに、「セラピー」も含めます) 業界全体が「ぶっ飛ぶ」と思います!

一点、「一見『人生』という崇高なものに対して、軽率なとらえ方だという意見もあるかもしれません」のコメントについてですが、実は、我々人間には、「外界に左右されて、ロボットのように生き続けていく」のか、「洗脳から覚めて、自分の本来の姿を取り戻し、自分で自分の人生と外界を責任もって創り続けていくことを選ぶ」のか、の二者選択しかないです (前者が崇高な人生とは、どこからどう見ても、私にはそのようには思えないのですが (笑)、いかがでしょうか?)。

この選択の決断は、個々人一人一人がすべきものであって、私には、代理決定できません。

ただ、私は、1988 年に前者の選択をしたら、その後、(徐々にではあれですが、着実に、確実に)「このまさに地が蓮の花咲く天国になり、このまさに体が仏陀になった」という個人的な報告をすることしかできません。

ちなみに、「このまさに地が蓮の花咲く天国になり、このまさに体が仏陀になった」は、「This very place the lotus paradise, and this very body the Buddha」の訳ですが、これは、私の師匠 Bhagwan Shree Rajneesh (OSHO)の「写真集 1978-1984」のタイトルです。この 550 ページの写真集は 1984 年刊ですが、実は、その 404 ページに「瞑想とセラピーの泥臭いワーク」を徹底的に行っていて、実際にクンダリーニ エネルギーが覚醒した頃の瞑想中の私の「証拠」写真が掲載されています (中央左のアイマスクをかけた東洋人が私です)。1985 年当時この本を買おうと思って買わなかったのですが、とあることがあって、今年初めに、オランダからかなり高価なレア古本としての写真集を購入しました。読者の方々にも興味があるかと思いますので、以下に「クンダリーニ瞑想」中の私の写真を掲載します (写真集の表紙と、この瞑想が行われていた吹き抜けの 400m x 600m の大道場 (米国オレゴン州) の写真も掲載します)。

思うに、NLP が 1975 年の誕生直後、世界的に劇的に広がったのは、NLP が、人をして、「選択点でありとあらゆる行動選択肢の可能性を実際に実行に移せて、真の意味で自由になれる」ことが共同創始者の二人が開講したワークの参加者にわかって、(1988 年の私がそうであったように) 「文字通り度肝を抜いた」からであって、日本国内のように、交渉相手とラポールが即取れるとか、相手を操縦しやすくなるといった「ビジネス交渉術に毛が生えた」レベルの方法論として「プチびっくり」 (笑) して広まってきた程度のものではないです。ここに、本場の NLP と日本の似非 NLP との決定的な、致命的な違いがあります。似ても似つかないものになっています。

別な観点から言うと、本来的には NLP の講義と演習は、武道の講話と練習と同じで、道場外の真剣勝負の生きるか死ぬかの場で、その練習結果を必死に生かすことが求められているのに、日本の NLP の場合、講義と演習を真剣に行って、現場での自分の実際の対応がいわば練習のようになってしまっていて、完全な本末転倒が起こっている感があります。(ただ、この本末転倒は、たぶん、その武道を含むありとあらゆる業界で起こっているように思えています。)

ちなみに、NLP は、「選択点で行動選択肢を増やしたら自由になれる」というメカニズムを、実際の現場でのクライアントに実行に移させることを可能にした「歴史上初めて」のセラピー メソッドであり、NLP 以前の方法では、このことは不可能でした。この意味で、リチャード バンドラーは NLP の代替名として 「DHE (Design Human Engineering、人間エンジニアリング設計)」を使ってきていますが、これは、非常に的を得たネーミングかと思います。

私は、最近、個人セッションのクライアントに親密に接することで、私と「普通の日本人」のマインドの働きがどのように違うのかが、手に取るようにわかるようになったのですが、この違いは、NLP にはまって NLP を生ききっている人と NLP を現実に落とし込めていない人の違いです。個人セッションのクライアントに親身に対応することから、今回の発見が生まれています。

結論としては、選択点において、意識的も無意識的にも、選択肢がなければ、「世界/現実はいっさい変わらない」と思うのはしごく当たり前であって、いわゆる「現象界」から「向こうの世界」に出て、「メタ (観察者) の視点」から現象界に「選択点」を置いて、ある意味、そこに強引に新たな行動選択肢を挿入するメカニズムは、「とんでもない奇跡的な神の偉業」であるしか言わざるをえないと思います。

(ちなみに、私の師匠は、「Be in the world, but never be of the world」と諭しましたが、この意味は「世界の中にいて動き回ってもいいが、その一部とはなるな (または、世界に属するな)」で、これは、「メタ ポジション」のことを指しています!)

この奇跡的メカニズムは、どこか、「神の体験を創出できるアファメーション」のメカニズムと似ているところがあります (この詳細については、実際の私のワークに参加された方にお伝えできるかと思います)。

なお、本メルマガの内容について、「この人は言っていることを本当に実践しているのか」と思う、私のワークにまだ実際に触れていない人がいるかとは、思いますが、一度でも私の生のワーク (DVD では通じないと思います) を見ていただけたら、スクリプトがない「非マニュアル人間」としての、まったく予測不能のプリゼンを目の当たりにして、私が「各選択点でありとあらゆる行動選択肢の可能性を実際に実行に移せている」人であることを、実際に確認することができますので、どうか一度「生北岡」を見ていただけるようお願いします。実際に私のワークをすでに知っている人は、本メルマガの内容は、私が無意識的に行ってきていたことの完全明示化であることが確認できるでしょうし、さらに、この点において、私は「首尾一貫」していることがわかると思います。

よろしくお願いします。

北岡

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以上の私の「コペルニクス的転換」の発見に興味のある方からはぜひ感想をいただきたいと思います。「コペルニクス的転換」の発見の詳細は、以下のメルマガにあります。

http://www.kitaoka.co/magazine/new/new_050.htm

また、この「NLP の現実へ落とし込みに関するノウハウ」に興味のある方には、特別にこのワークに特化した個人セッション パッケージを個別にオファーさせていただきたいと思っています。ご興味あれば、以下にご連絡ください。

info@office-kitaoka.co.jp

(ちなみに、私は、月に一度程度関西方面に出張することになっていて、最近は、大阪や京都や名古屋等で個人セッションを開講しています。遠方であることを理由に私のワークを受講できてきていない方々も、どうか関西/中部地区での私のワーク受講の可能性があることを念頭に入れていただけたら幸いです。)

作成 2022/12/22