以下の文章は、北岡泰典のメルマガ「新編 新・これが本物の NLP だ!」第 1 号 (2013.3.7 刊) からの抜粋引用です。

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皆さん、こんにちは。NLP ファシリテータ/メタ トレーナーの北岡泰典です。

本号から、本メルマガは「新フェーズ」に入りました。シリーズ番号も「New Phase Vol 1」として、新スタートを切ることになりました。今後ともよろしくお願いします。

本メルマガの第一フェーズ最終号の第 270 号『新フェーズ開始宣言!/悟りの世界と日常生活の間の翻訳言語としての北岡ワーク』等でもお伝えしましたが、最近、ただ単に哲学的な宇宙論と人間論を語ることによってだけで、3 泊 4 日の合宿ワークで、参加者を悟りに導くことができるという方に出会いました。

この方の合宿ワークに参加してみて、「本物のジュナーナ (知識) ヨガ」であることが確認できましたが、一点、私として洞察としてわかったことは、「悟りの世界と日常生活の間の翻訳言語が北岡の NLP ワークである」ということでした。

言い換えれば、この方の方法論であれ、他の方法論であれ、いったんミニ悟りを開いた後、「この世」に戻って来た後は、普通は、五感の刺激のアンカー (条件反射) によって、元の悟っていない自分に戻ってしまう可能性が高いのですが、日常生活で起こっているすべての事象を悟りの世界とマッピングすることができる北岡ワークを通じて、現象界で起こっているどんな事象を見ても、恒常的な「悟りのフラッシュバック」を起こさせることができる、という洞察が私に訪れました。

このことを背景にして、北岡の新たな方向性と試みとして、北岡ワークは「悟りの世界と日常生活の間の翻訳言語」 であることを明示化させていただいた上で、今後、Swami Guhen の『深遠なる意識の旅』メルマガと本『これが本物の NLP だ!』メルマガの交互発行して、 北岡/Swami Guhen ワークを解説する「辞書」もしくは「用語集」を提供させていただきたいと提案させていただきま した。

この二つのメルマガの「交互発行」を本号のメルマガから開始させていただきたいと思いました。以下の『深遠なる意識の旅』メルマガ

http://www.guhen.com/newsletter/005.htm

では、「Swami Guhen 哲学考」を展開し、本メルマガでは、その哲学的考察の NLP の観点からの日常生活への落とし込み方について考察されることになります。

本号の NLP 考察のテーマは、「本当の自分とは」です。


今回のメルマガでは、以下のトピックがカバーされています。

1.NLP 考察、その一/本当の自分とは

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1.NLP 考察、その一/本当の自分とは

『深遠なる意識の旅』メルマガ第 5 号の「Swami Guhen 哲学考、その一/本当の自分とは」では、印哲のベーダンタ派の「五つの鞘」の観点からの考察が加えられましたが、このことについては、一点、追記すべきことがあります。

上述の「3 泊 4 日の合宿ワークで、参加者を悟りに導くことができるという方」は、その合宿ワークの冒頭、ワーク参加者全員に「人は、大地震があっても、大津波があっても結局はいっさい変わりません。それ以上のショックが必要です。そのショックを受ける用意が皆さんにありますか?」という質問をしたのですが、結果的には、ワーク中に、一定以上の「大地震、大津波以上の大ショック」をワーク参加者に引き起こしていたことは確かです。

この方は、宇宙誕生以来 137 億年のプロセスが、瞬間瞬間に人間一人一人に起こり続けているにもかかわらず、人間の思考は「差異」だけを認識する傾向にあるので、「現象界らしきもの」が存在しているように見えるだけである事実を、ありとあらゆる比喩と自然形の例を使いながら、ワーク参加者の無意識に納得させることで、「自分の肉体」が完全な幻想であることを体感させることに成功していました。

この「自分の肉体が自分であると思うことが完全な幻想であることを体感する」ことは、「本当の自分を知る」ための第一歩であることは、言うまでもありません。

ちなみに、私自身、「大地震、大津波以上の大ショック」を受けることが、真の意味で自己変容を起こし始めるための必要条件であり、それと同時に、「新たな学習を習慣化させる」 (言い換えれば、たとえば、「いったんミニ悟りを開いた後、『この世』に戻って来た後も、日常生活でその状態を常態化させる」) ための条件でもあるように思います。

私自身、「大地震、大津波以上の大ショック」の受け方で、最強の方法は「化学的に誘発された変性意識状態」を通じてだと認識していますが、そのような方法が厳格に禁止、タブー (忌避) 視されている日本では、この方の、4 日かけて「知識の道」だけでそのようなショックを与える方法は、極めて有効かとも思いました。

以下、『深遠なる意識の旅』メルマガの「Swami Guhen 哲学考、その一/本当の自分とは」

http://www.guhen.com/newsletter/005.htm

に対しての NLP の観点からの考察です。


数千年の歴史のあるベーダンタ哲学の「五つの鞘」に対応するモデルとして、20 世紀後半米国西海岸で生まれた NLP は、「五つの心身論理レベル (ニューロ ロジカル レベル)』を提唱しています。

五つの「心身論理レベル」は、NLP 業界 No. 3 のロバート ディルツが提案したものですが、「環境、行動、能力、信念、アイデンティティ」の五つのレベルは、「五つの鞘」の「肉体、気 (エネルギー)、記憶、知性、至福」の五つのレベルと完全マッピングされることは、極めて興味深いことです。 (言い換えれば、環境があるから肉体があり、エネルギーがあるから行動があり、記憶があるから能力があり、知性があるから信念があり、本当のアイデンティティは至福です。)

(ちなみに、2001年にカリフォルニア州サンタクルーズの NLP ユニバーシティでトレーナーズ トレーニング コースに私が参加したとき、世界中から来ていた 200 人以上の参加者の前で、私はディルツに「印哲の『五つの鞘』のモデルについて知っていましたか?」と聞いたところ、「知りませんでした」という公けの回答をもらいましたが、ディルツの当時の口述筆記者の女性が、最近亡くなった、超越瞑想の創始者マハリシ・マヘーシュ・ヨギの元の口述筆記者だったということが判明しているので、この回答には大きな疑問符がつくかと思われます。)

この相互マッピングには、マズローの「欲求五段階説」とも、チャクラの数 (数は、5 つとも、7 つとも、9 つとも言われているようです) とも、関連しているので、かなりの普遍性がある、と私は見ています。

さらに、インドの瞑想の方法を意味するサンスクリット語として「ネティ ネティ (これでもない、あれでもない)」というものがあります。これは、瞑想の内省の過程で、本当の自分は「これでもない、あれでもない」というふうに否定していって、最終的に残るものは、タマネギの皮をむいていった後に何もない芯のようなものですが、これこそ本当の自分である、という考え方です。

実は、私は、瞑想とは本当の自分を知るプロセスである、と見ていますが、以上の諸観点を鑑みると、私には、「瞑想 (本当の自分を知ること) とは、五つの鞘 (もしくは五つの心身論理レベル) の各レベルにおいて、自分がもっている『思考の癖』との自己同一化を解除していくことである」と定義できると思います。ということで、

「瞑想 (本当の自分を知ること) = 自己同一化の解除」

という図式を使ってもいいかと思います。

もちろん、この自己同一化の解除のプロセスと NLP でいう「メタ (観察者)」の立場にいることは、まったく等価であるということは、言わずもがなです。

NLP の「メタ」は、たとえば、「知覚ポジション変更」テクニックにおいて、「第一ポジションの自分、第二ポジションの相手、第三ポジションの第三者のすべてを見ているポジション」と規定されますが、この「メタ」は、ベーダンタ心理学の「観照者」以外に何ものでもないことを知ることは、大いなる驚きです。

NLP では、意識的に「観照者」になることを訓練するための多くの演習が用意されています。

(実際、北岡が NLP 業界内で教えてきていた 108 の NLP テクニックは、実質的にすべて、明示的もしくは暗黙的に「観照者 (メタ)」のポジションにいるための能力を開発するためのテクニックである、と言っても、あながち言い過ぎではないと思います。)

ここに、「NLP と瞑想 (本当の自分を知ること) の親和性」のエッセンスがあると思います。 図式としては、さらに以下が成り立つかもしれません。

「瞑想 (本当の自分を知ること) = 自己同一化の解除 = (NLP の) メタ ポジションの保持」

作成 2022/11/1