最新情報 1: 本ページは、以下の「メタ心理学宣言!」ページに追加された「『メタ心理学宣言! FAQ』ページ」です。

https://www.kitaoka.co/meta/



 

以下にあるのは、「『メタ心理学』ワーク」についての「FAQ (頻繁に尋ねられる質問)」群です。各質問のバナーをクリックすれば、回答を閲覧することができます。

 

北岡は、欧米に 20 年間滞在し、その間、NLP 四天王 (ジョン グリンダー、リチャード バンドラー、ジュディス ディロージャ、ロバート ディルツ) から「本場直伝の NLP」を直接伝授され、実践・教授してきています。2001 年に帰国した後 2012 年まで、国内の資格認定ビジネス業界で活動していました (帰国当初は、NLP 業界のトップ トレーナー三人の方々に 10 日間の「シークレット ワーク」を開講させていただきました)。2013 年からは、「エグゼキュティブ ライフ コーチ」として個人セッションを提供してきています。

 

資格認定コースを開講しているとき、北岡は、欧米で学んだ教授方法で NLP を教えていましたが、本場欧米で起こってきているようには、「個人的天才 (業界の第一人者)」になる (すなわち、いわゆる「化ける」) 方々が多く輩出されないことに気づきました。この原因は、「ライフ コーチング」ビジネスを始めた直後に個人セッションを受講した一人のクライアントの方とのやりとりで、判明しました。

 

この方は、北岡が卒業した大学の後輩の会社社長で、優秀な方でしたが、6 回の個人セッション パッケージの 3 回目のセッションの際に、「今学んでいる NLP の現実社会への落とし込み方がわかりません」という、正直、北岡には理解不能のことを言われました。私が「どういうことですか?」と聞いた時のこの方の答えで、NLP を学んで「化ける」ためには、そもそも論として、NLP が生まれた西海岸の文化圏の人々が無意識的に身につけてきている、いわば、コンピュータの OS のような基本汎用型思考パターンを身につけておかないと大化けすることはなく、この思考パターンを身につけていない日本人と身につけている西海岸文化圏の人々の間には、少なくとも 60 年以上のギャップがあるということがわかった次第です。

 

このクライアントの答えは、「(私を含めて) 日本人は、現実が絶対に変わらない、と思っています」でした。「それは、どういう意味ですか?」と聞いたら、極めて明快な比喩を使ったコメントをしてくれました。彼によれば、「日本人は、タフな現場に行く前に、予め、アンカー (条件反射の方法論) を使って、バニラ アイスクリームの匂いを作ることができますが、現場の (たとえば、交渉相手の) 人々がタフで、牛のウンチの強烈にくさい臭いを発散するので、バニラの匂いは完全に撃沈されてしまいます。その後、帰宅後、泣くのですが、この時、再度アンカーを使って、現場で起こったことについての『記憶』を書き換えて、自分を慰めようとするだけです。このサイクルが永遠に続くので、誰も、現実を変えられるとは思っていないです」ということで、(北岡にとっては、初めて聞く)「衝撃の事実」が判明しました。

 

(実は、この方とのやりとりの後、別の NLP の「上級学習者」とも同じようなことが起こりました。この方は、ロールプレーで「これから敵対する人々と会議があるので、会議室の外の廊下で、『拳のにぎにぎ』と胸筋を開いて深呼吸する等の『姿勢編集』のアンカーを使って、事前に状態管理をします」と言ったので、北岡は「すばらしい」と拍手しました。彼は、続けて、「しかし、やはり、敵側の人々はタフなので、交渉は失敗に終わり、帰宅後、同じアンカーを発火して、いやな記憶の書き換えをします」と言ったので、北岡は再度「すばらしい」と拍手しました。このとき、北岡は、「ちなみになのですが、実際の交渉現場では、机と脚の間に二、三十センチの隙間がありますよね。そこに手を突っ込んで、『拳のにぎにぎ』をして、かつ、胸筋を開いて深呼吸すれば、自分の内的状態が変わるので、『リアルタイム』で交渉相手にも影響を及ぼして、交渉の行方が、いい方に変わりますよね」という進言をしたら、「そんな発想は今までもったことがありませんでした」という「木っ端微塵の自爆型『爆弾発言』」をしました。

 

たとえばの話ですが、陸上 100m 競争のウサイン ボルトが、レース前の練習で、リラックスした状態で、最高記録の 9.58 秒を出し、レース後の練習でも 9.58 秒を出せるのに、衆目の前では 10.5 秒しか出せない、という状況はありえない、というのが北岡の見立てで、いわゆる「現実」を変える目的をもたないままの NLP 学習と実践は、そもそも論として、(「絵に書いた餅」、「耳年増の外野からの野次」として) 意味をいっさいなさず、NLP の存在理由を完全否定することになってしまう、と思いました。)

 

一方で、西海岸文化圏の人々は、いわゆる「現実」とは、子供の頃から固定化してきている思考パターンが生み出す「仮想現実」の一つにすぎないので、「見方」を変えたら、現実はいかように変えることができるというパラダイムで生きていて、だからこそ、「枠から出る方法論」として 1975 年に NLP が生まれ、また、今世紀になって GAFA (Google、Apple、Facebook、Amazon) が生まれたりしてきている事実があります。

 

実は、以上の日本人の思考パターンがわかった後、北岡は、「現実を仮想現実化」する「RPG ワーク」演習を開発し、上記の会社社長の方にこの演習を施術したら、この方は、「NLP の現実社会への落とし込み方」を体得したようでした。その後、二、三年経って、この方と再会しましたが、当初 8,000 万円だった会社の年間の売上が、北岡のワーク受講後、5 倍の 4 億円になった、ということでした。

 

ちなみにですが、「RPG ワーク」は、おそらく、開発以前の日本人は誰も知らなかったテクニックであると同時に、NLP を自己適用して「化けて」きている西海岸文化圏の人々も誰も意識化できていないテクニックです。

 

数年前に、私のメンターで友人の NLP 共同創始者のグリンダー氏に国内で会った時、同氏に「このようなテクニックは、西洋人の NLP 実践者は誰でもできているのに、日本人のために私が公式化した、ということについては、西洋人は『猫も杓子も、子供もできていることなのに、なぜわざわざ明示化しなくてはいけないのか』と言って嘲笑されるでしょうね」と伝えたら、「確かに、他の西洋人は笑うでしょうが、私は『ブラボー! よくやってのけましたね』と言ってあげたいです」と言われました (!)。

 

(さらに追記すると、最近のことですが、以下の「クライアント感想」のセクションで紹介させていただいている「箭内宏紀さん」という方は、これまで、北岡の 16H の個人セッション パッケージを 6 クール (約 100 H) 受講されましたが、「こんなにおもしろい、一生、あるいは死んだ後も、遊べる玩具箱とのツールをいただいたことに感謝いたします」とおっしゃっていますし、さらに、数百万円のワーク受講費で会社の売上が 1 億 8 千万円になったそうで、実質的に「投資額の 30 倍のリターンになりました」ともおっしゃっています。)

 

実は、北岡自身は、25 歳で大学を卒業した後、20 年間海外生活する間に、西海岸文化圏の人々の思考パターンを自然に、無意識的に身につけていたことが、上記の二人のクライアントとのやりとりから、「遡及的」に判明し、そのためにこそ、北岡は、自分自身が NLP 学習を通じて「化けた」という自己認識がある一方で、国内の資格認定コース業界にいたときは、経験則的に身につけた、その無意識的な基本汎用型思考パターンを、コースの参加者の方々に伝えきれないままきていました。

 

この「RPG ワーク」の独自開発後、ライフ コーチング個人セッションを開講しながら、神経科学や成人発達論等の分野の研究を続けた結果、西海岸文化圏の人々と日本人の思考パターンのギャップを埋めることができるテクニックとして、「曼荼羅フラクタル リエンジニアリング (MFR)」、「鏡の国のアリス」、「Meta Meta Work」、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」、「明鏡止水ワーク」、「刺激と反応の間にスペースがある」等の一連の新テクニックを独自開発してきています (最近は、「サルバドール ダリの燃えるキリン」(仮称) というワークも追加開発しました)。

 

北岡は、1975 年の NLP の創始以来、かれこれ 50 年近く経っているので、「そろそろ」 NLP を超えた学問が誕生してもおかしくないと思うこともありましたが、以上の「NLP 後」のテクニックを独自開発し、さらに、特に、神経科学の (fMRI を通じた) 驚愕の発見群を研究する過程で、いわゆる「NLP の限界性」も認識するようになったので、最近、「NLP の進化版」として「メタ心理学」を提唱し始めた次第です。

 

「メタ心理学』は、いわば、「ソフトウェア (NLP テクニック) 群を最適化する OS 心理学」として誕生しました!

 

北岡のクライアントの方々は、「メタ心理学」メソッドを習得することで、「現実を仮想現実化」できるようになり、NLP のような人間コミュニケーション技法のテクニックを習得する際、最大限の効果と結果を出せるようになっています。このことによって、北岡は、今後、「個人的天才 (業界の第一人者)」になる (すなわち、いわゆる「化ける」) 人々を、国内で多く輩出していくことになると確信しています。

 

以下のページで、「NLP がどのようにして生まれ、メタ心理学に受け継げられていくか」を示した「NLP の歴史」のチャート図を閲覧することが可能です。

 

https://www.taiten.info/archives/nlp_history.pdf


 

「イノベーション モデリング コンサルティング (IMC)」とは、北岡が「メタ心理学者」としてクライアントに提供しているサービスの名称です。

 

北岡は、ライフ コーチング個人セッションを提供している一方で、イノベーションを求める企業の研究開発部門などに、スタッフが常に「自分自身の枠」を超え続けて、さらにイノベーティブなアイデアを思いつけるように、「B2B コンサルティング サービス」を提供いたします。

 

欧米人であれ日本人であれ、GAFA 等の創業者を輩出した西海岸の人々のマインドセットと、彼らの革新性を達成することができてきていない日本人のマインドセットとの間の 60 年にわたるギャップを「見える化」して、それを埋めることができる人は、北岡以外にいないのでは、と考えています。

 

もし、このページをお読みの方が、北岡の「イノベーション モデリング コンサルティング」サービスにご興味をもたれましたら、ぜひご連絡していただけたらと思います。


 

現時点では、まだ正式な学問になっていません。

 

北岡は、1988 年から研究、実践、施術してきている NLP に基づいて、その進化バージョンとして「メタ心理学」を提唱してきていますが、1975 年に西海岸で生まれた NLP 自体、アカデミックな形で発展してきていません。

 

北岡は、今後、「メタ心理学研究所」を創設しようと考えていますが、これは、プロの学者を含む、さまざまな分野の学際的学術的な研究所であると同時に、産業界にも貢献することを見据えたシンクタンク的な組織になることが予想されます。

 

日本に帰国した 2001 年以降、二十余年にわたって、「臨床的実践者」として NLP ワークを提供してきていますが、この実践的試行錯誤が、北岡が「メタ心理学」を提唱することに関して、計り知れないノウハウの蓄積をもたらせてくれた、と考えています。

 

「メタ心理学」は、北岡自身が生み出したものなので、世界に広く訴求させるためにも、何らかの形で、今後、正式な学問にしたい、とは思っています。


 

国内の NLP は、一般的に、「悪意のある操作」としてのビジネス スキルとしてしか評価されてきていない嫌いがあります。

 

一方、60 年代に跋扈したマズローの「人間性心理学」を元にして、セラピー、催眠、瞑想、変性意識の研究として、NLP が 1975 年に西海岸で生まれた歴史的事実があり、北岡の私見では、GAFA の創設者たちは、直接的・間接的に、NLP に強い影響を受けてきています。

 

このことが日本に知られていないことを表す象徴的なこととしては、シリコンバレー文化の源泉が西海岸文化 (いわゆるヒッピー文化) にあることは、欧米では周知のことですが、国内では IT 関係者のほとんど誰もその認識がないように思われる事実が挙げられます。

 

その中で、北岡は、2001 年の帰国時から 20 年間試行錯誤した結果、西海岸文化圏の欧米人と日本人の思考パターンのギャップを閉じることができる「メタ心理学」を提唱してきています。メタ心理学は NLP の進化バージョンである、と言えると思っています。


 

国内の NLP は、西海岸文化を知らない先生たちが教えているので、「悪意のある操作」としてのビジネス スキルとしてしか評価されてきていない嫌いがあります。

 

一方、欧米 (特に米国西海岸) では、60 年代から西海岸文化の伝統が根付いて、綿々と継承されてきています。

 

その中で、60 年代に跋扈したマズローの「人間性心理学」を元にして、セラピー、催眠、瞑想、変性意識の研究として、「トランスパーソナル心理学」が生まれました。

 

国内のビジネス界でも、近年、トランスパーソナル心理学の代表的論客のケン ウィルバーが提唱する「四象限」のモデルを元にした「ティール組織論」や「成人発達論」が広く論じられてきています。

 

同様に、NLP も、「人間性心理学」を元にして、セラピー、催眠、瞑想、変性意識の研究として、1975 年に西海岸で生まれた歴史的事実があり、北岡の私見では、GAFA の創始者たちは、直接的・間接的に、トランスパーソナル心理学と NLP に強い影響を受けてきています。

 

このことが日本に知られていないことを表す象徴的なこととしては、シリコンバレー文化の源泉が西海岸文化 (いわゆるヒッピー文化) にあることは、欧米では周知のことですが、国内では IT 関係者のほとんど誰もその認識がないように思われる事実が挙げられます。

 

上記の意味で、北岡は、極めてユニークな形で、西海岸文化的思考形態と日本的思考形態のギャップを閉じることができるようになっています。


 

北岡は、個人的には、半端ではない時間数とクライアント数の臨床経験をもってきていると思っています。

 

本ページの本文でも記載がありますが、北岡の臨床経験は、80 年代の米国オレゴンの RIMU 国際瞑想大学での「催眠療法」の 7 ヶ月間 (1,700 時間) のコース受講経験、1988 年の英国ロンドン市の「催眠と上級心理療法の学校」での約 200 時間の実践的な催眠技法の習得、1988 年から 2001 年までの NLP 四天王開講の資格認定コース (プラクティショナー、マスター プラクティショナー、トレーナーズ トレーニング コース) の参加経験 (約 800 時間相当)、2001 年の帰国後開講した NLP 認定資格コース (約 4,300 時間) の教授経験、約 1,500 時間のワークショップ開講経験、約 900 時間の個人セッション体験、および、2020 年初頭のコロナ禍からの 3 年間 400 回以上 (計 1,200 時間) の Zoom 個人セッション開講体験、等に基づいたものになっています。

 

単純計算で、北岡の臨床経験の総時間数は 1 万時間超となっています。1 日 8 時間計算で、1,250 日相当になります。

 

以上の臨床経験で特記すべきは、「帰国後開講した NLP 認定資格コース (約 4,300 時間) の教授経験」の中での、コース参加者相手に行った延 2,000 回以上の「デモ演習」は、文字通り、北岡の「臨床の至宝」となっている点と、過去 3 年間の「400 回以上 (計 1,200 時間) の Zoom 個人セッション開講体験」は、オンライン ワーク開講のためのまたとないノウハウ確立の場となってきている点です。


 

以下に、北岡のライフ コーチング個人セッションを受講中のクライアントの方 (「杉野優」さん) が、北岡の CD-ROM ブック『CYBERBOOK: 悟りのための統合的認識論』(この書名をクリックすると、本書の紹介サイトに進めます) を読まれた後の感想と北岡のコメントを、質疑応答の形で、紹介させていただきます。

 

ちなみに、2000 年に英国で刊行した『CYBERBOOK』に関して、このような深層心理に関連した感想をいただいたのは、初めてです。

 

* * * * * * *

 

クライアント (CL): 『サイバーブック: 悟りのための統合的認識論』を読ませていただきました。

 

最高の本でした。

 

ご馳走様でした、とも味覚的に申し上げたいです。今後も何度も繰り返し読ませていただきます。

 

 

北岡泰典 (TK): ありがとうございます。

 

 

CL: 今とても幸せな気持ちなのは、ようやく確かな「統合的実践心理哲学」に辿り着けた、と実感するからです。

 

近頃は左脳的に思われがちな私ですが、高校時代の親友にはスピリチュアルな考えをするとフィードバックを受けたことがありました。中学校時代には悟りを先に開いた方が人生は楽しめると思ったこともあり、精神性志向は強い傾向にありました。そこから、それ自体が周囲には観念的な幼児性にも似て映ることを知り、左脳過多な学習に傾倒しました。結果としては、自己啓発病の沼に陥り、フロイト的な心理分析が頭から離れず、自律神経失調症となり統合失調症を体験し、西洋医学の投薬治療を経て、東洋医学で寛解し、さまざまな心理療法を学ぶようになりました。 (この闘病生活に「高次の意図」があったことにも「メタ心理学」で気づくことができております。)

 

 

TK: そうですね、私も、よく似た幼児期/青年期を送ったと思います。私も高校/大学時代、フロイトの「過去のトラウマ探し」にハマりましたが、この方法では、トラウマは深まることはあるにしろ、完治することはない、という結論に達しました。私の場合は、「投薬治療」に向かうことはありませんでした。

 

 

CL: 北岡先生のことを知るきっかけとなったカウンセリングとメンタルトレーニングのスクールの特徴は、世界基準の心理学を網羅的に学べることと、日本の心理業界を牽引していることでした。

 

そのスクールで、NLP入門講座に触れた時、「これはやばい。自分にはまだ早い」と直感しました。経験値が不足している場合、NLPはあまりにも簡略的に見えて、ここに早々に物事をチャンクアップしてまとめてしまうと、逆に事象が見えなくなるのではないか、と思ったのです。そして、いつか仙人さんに会う日まで、できる範囲で手当たり次第に、心理療法を学んでおこうと決意したことを思い出します。

 

 

TK: 以前、この「仙人さん」が私であるとお聞きしましたが、「いつか仙人さんに会う日まで、できる範囲で手当たり次第に、心理療法を学んでおこうと決意したことを思い出します」ということで、以下にあるように、7 年間「修行準備期間」を過ごされたようですが、これは、すばらしいことだと思いました。

 

 

CL: それから7年です。結構、色んな心理療法家とも知り合いました。しかし、どれも表皮を撫でる程度で、浅かったのです。これは批判しているわけではなく、自分がその心理療法を受けた側として、その場かぎりの安息は感じられたとしても、その後の現実に戻った時の揺り戻しでむしろしんどくなった、仕方なしの感想なのです。いわゆる一種の舞台催眠の類、付け焼き刃のものばかりで、不安感は付きまといました。「サムスカーラ」だなんて当然触れられなかったのだと思います。欲しかったのは小手先の心理学ではなく、普遍的な人間精神の地盤に立脚した学びでした。それから自分自身が本心から落ち着いてきたのは、それまでの学びと脳機能との整合性を図り、植物療法 (北岡先生の言い方では「薬草療法のメソッド」と同じですね) で物理的な作用を及ぼせるようになってからでした。そのターニングポイントに、北岡先生の体験セッションで施術していただいた「明鏡止水テクニック」があります。目が覚めたのでした。

 

 

TK: 私は、この「修行準備期間」の 7 年は、アンソニー ロビンズがいう「ディッケンズ パターン」(人間は、未来にも過去にも逃げられない、と思った時、初めて「現在」において変化せざるをえない、と悟ることです。これは、ありとあらゆるセラピストに通ったが、まったく改善しなかったので、他に取るべき手段がなくなって、しかたなしに、最終的に、当時「ヤブ医者」と思われていた催眠療法医のミルトン H. エリクソンの元に、精神疾患を患っていた子供を預けたら、疾患が完治するような治療を受けることができた、というストーリーと相互関連性があると思います)だったのでは、と思わせていただいています。

 

 

CL: 『サイバーブック: 悟りのための統合的認識論』の深みと新しさ、ついさっき書き起こされたような文章の臨場感と、縦横につながってゆく一つの世界に触れながら、完全に脳内麻薬が出た感覚がありました、噂には聞いていましたが…足が弛緩してジワーッと血流が行き渡り、脳内が楽しくてしょうがなくなるのです。これは子どもの頃から無意識的に何度も経験してきたことでもありました。そしてこの状態で、遊びやスポーツや勉学に打ち込むと、優れた結果がはっきりと出たのです。「メンタル ヴィゴラス (Mental Vigorous) 状態」だったと思います。この過去と今の経験と状態がつながったことで、私の「個人的天才性」は開花することを自覚、確信しました。

 

 

TK: そうなんです。私は、2000 年に英国で刊行した『CYBERBOOK』も、私のメルマガも、私の左脳的な文章は、すべて、私自身の右脳的体験に裏打ちされている、と主張してきています。なので、7 年間の「修行準備期間」において繰り返された「右脳の体験を左脳化し、左脳の知識を右脳化する」、「左右脳全脳交流」の試行錯誤 (7 年も必要とせずに、短期間の場合もあると思いますが) さえあれば、「こんなおもしろい書き物はない」という「ワクワク感」につながるドーパミン等の「脳内麻薬が完全に出た感覚」をもつことが可能だと思います。

 

この「『左右脳全脳交流』の試行錯誤」がなく、単なる思考停止状態にとどまっている読者の方々には、私の書き物と実際のワークは、ほとんど効果がないことが判明しています。

 

 

CL: インドは「精神の大国」「東洋の叡智」等、聞いてはきましたが、なんとなく言語的にも遠い気がして、近づきがたい印象がありました。しかしこの度は、日本、朝鮮半島、中国が連なる、精神性の文脈がインド哲学につながることを身をもって感じられました。私は唯識論の理解から精神世界の体系と西洋心理学との関連を学んだのですが、仏教が誕生した土壌はインド哲学によって耕されていたこと知って、納得できたこと、はまったパズルのピースもたくさんあります。(例えば仏典に「非ず」の否定が連続して出てきたのは、「ネティネティ」的です。)そして、それらの現代的な実践の方法としてNLPがある、というのは希望でしかないです。

 

自分にとって「メタ心理学」に至れたことは一つのゴールであり、ようやくスタート地点に立てた、そんな面持ちでおります。

 

 

TK: すばらしい洞察かと思いました。

 

 

CL: ちなみに、「メタ心理学」のワークをして、『サイバーブック: 悟りのための統合的認識論』 を読んだところ、おもしろいことに3つ気づきました。

 

まず、書店に行って、心理学/自己啓発コーナーの本を開いてみました。すると、そこに書かれているノウハウの原理原則はどれも『サイバーブック』のなかに書かれていたものばかりだったんです。

 

それぞれの本は、表現や説明の仕方が現代風に変わっているだけで、人の精神的な構造は5千年前から変わってきていないことがよく分かりました。

 

前までだったら、そういう表面的な内容に踊らされて、浅い知識だけを蓄えてしまっていたかもしれませんが、『サイバーブック』読了後は、心理学/自己啓発系の学びはすべて自分の中心軸でまとめられています。

 

「メタ心理学」の視点をもっていると、いわゆる「比喩」のバリエーションをどんどんと増やしていけているんです。

 

それは「黄色く光ってる」とか「日によって形が変わる」とか「太陽に照らされている」とかは部分的な説明なのであって、「それってお月さまでしょ!」って一つのことが分かれば、いくらでも話はできますもんね。

 

 

TK: これは、私の言う「アイソモルフィック メタファー」のことを指しておっしゃっていることになりますが、たしかに、原理原則の核心を突くような本であれば、「それぞれの本は、表現や説明の仕方が現代風に変わっているだけで、人の精神的な構造は5千年前から変わってきていない」というのは、その通りだと思います。

 

私の書き物は、その「5千年前から変わってきていない人の精神的な構造」の解説をさせていただいているという自負があります。

 

 

CL: 次に『サイバーブック』は簡単な内容ではなかったのですが、じっくりと読んで、理解を進めることで、気づいた時には精神的なレベルが格段に上がっていました。

 

映画『マトリックス』で、主人公のネオが仮想現実のなかで、世界中の格闘技のソフトウェアを次々にインストールして、トレーニングを重ねていくシーンがあったのですが、『サイバーブック』はそんな感じで「内的行動」の経験値を積ませてくれたのです。

 

『サイバーブック』で「学び方を学ぶ」ことを学べたことも大きかったです。これまでのどんな失敗や挫折、試行錯誤した経験も、すべて成功と得たい結果へと活かせる法則があったこともまた画期的でした。

 

この学びを、「メタ心理学」のワークを通して、自分の「個人的天才性」を発揮したい分野に持ち帰っているところです。

 

 

TK: 極めて興味深い『CYBERBOOK』感想です。感謝いたします。

 

 

CL: 最後に、「リンゴと少女」の物語を思い出しましたのでご紹介します。

 

「一切れのリンゴを食べてみたい」と言う、貧しい村の少女のもとに、ある旅人がやって来ました。旅人は「私の話を聞けば、一切れのリンゴを食べられる」と少女に言いました。少女は大喜びです。

 

すると旅人は少女に「いつどこでリンゴはなるのか」と話しはじめました。次の日には「リンゴの木はどのように育つのか」、また次の日には「リンゴの好む土・水・空気とは」、さらに次の日には「美味しいリンゴの育て方」を語りました。そして最後の日に旅人は「この種はだれが植えますか?」とだけ問いかけて、一粒のリンゴの種を少女に手渡すと村をあとにしたのです。

 

それから少女は、リンゴの種を土に植えて、旅人が話してくれたとおりに、リンゴの木を大切に育てました。そしてある年に実った美味しいリンゴを、村人たちみんなで分け合って食べたといいます。

 

(この物語の旅人のモデルは、とある「メタ心理学者」の先生です…。)

 

 

TK: すばらしい比喩 (アイソモルフィック メタファー) だと思いました (笑)。

 

 

CL: 別件ですが、並行して「北岡用語解説集」(このページ名をクリックすると、該当のサイト ページに進めます) も読んでいて、おもしろくてしょうがないです。これはまた暗号的でありました。

 

 

TK: ありがとうございます。「北岡用語解説集」を読んだら、さらに難解に思えたと言う人もいました。

 

おそらく、上述のように、私の文章をまず左脳的に理解して、それを右脳に落とし込むことがほとんどできていないのだと思います。

 

 

CL: 難解に思えてしまったのは非常にもったいないです。左右の脳での交流が大切ということですよね。

 

私の場合は、右脳的な大きな体感があった上で、それを強化補足してくれる左脳的な説明の『サイバーブック』でした。その左脳の活性化を、またさらに右脳的なワークに運んで循環させています。

 

左脳的に行き詰まりそうなときには、そのボックスを出て、メタに抜けました。そこで、自分の目的を確認して、理解・解釈・意味づけの方向性を選んでいたようです。難解になるときは、難解に思える選択をされたのだと思いますが、そこを一つだけ乗り越えられると、全部が自分の足元につながってくるのではないかと思います。

 

 

TK: その通りかと思います。

 

 

CL: 「メタ心理学ワーク」についての「FAQ」も、『サイバーブック』並の内容でありました。ワークを受けてようやく教材の一部だったことに気がつきました。

 

 

TK: はい、「『メタ心理学ワーク』についての『FAQ』も教材の一部」というのは、その通りです。

 

というか、もっと言うと、実は、24 時間私が考えていることも、どのメディアでどの形態で発信していることも、あることの「アイソモルフィック メタファー」です。

 

その「あること」とは、

 

「『絶対的神的意識/プルシャ』である主体としての神が『現象界/プラクリティ』である客体としての『此岸/娑婆の世界』で自己表現したらどうなるか」

 

です!!!

 

[北岡注: ここに続く部分が、この紙面では割愛されています。極めて興味深い質疑応答になっていましたので、「FAQ7-1: 北岡ワーク クライアント感想 (追加)」の項目で、単体の FAQ として追加引用させていただきました。]

 

参考になったら、幸甚です。

 

 

CL: ありがとうございます。

 

追加で、質問が3つあります。

 

1)「アンカーリングの解除」は、「刺激と反応の間にスペースがある」のワークでできますか?効果的な演習がありましたら教えてください。

 

 

TK: そうですね、確かに、「刺激と反応の間にスペースがある」ワークは、本来的に NLP の中に見つけることができない「アンカーリング解除法」になっている、と私の「無意識ちゃん」(アカシック レコード) は言っていますが、同時に、私がさらにメタ心理学メソッドを発展/完全体系化させていく過程の中で、まさに「アンカーリング解除そのもの」のテクニックが開発されていくように思えています。

 

これは、「乞うご期待ください」となります。

 

 

CL: 2)『サイバーブック』の「自分が知っていることをどのように知っているか?」の項で、「自分が学習したことをどのように学んだかを意識的に考え始めたら、学習者は、すでに学習済みのパフォーマンス レベルを提示することができなくなる場合があるということです。」とあったのですが、これは自分の「無意識的有能性」について意識的に説明できる自主トレーニングをしておけば回避できますか?

 

 

TK: この質問は、「自分が知っていることをどのように知っているか?」のページの以下の部分の最後の文についての質問です。

 

「私たちの習慣的な行動パターン (すなわち、私たちのあることの達成方法) を確立することがどれだけ難しく、他方、すでに確立されたこと (すなわち、私たちが知っている内容) を再現することがどれぐらい容易であるかを示す著者のお気に入りの比喩は、コンピュータのワープロ ソフトを使った比喩です。

 

今、ワープロで何らかのプレゼン用の 1 ページの書類を書く必要があるとします。いろいろなアイデアが頭を横切り、試行錯誤の末、これらのアイデアをいろいろ練りながらゆっくりと作業を進展させます。いくつかのバージョンをあきらめ、修正した後で、満足のいく最終バージョンに達するまで丸 1 日をかかったとします。しかしながら、いったん (著者が「マトリックス」と呼ぶ) 最終結果を得たら、その後は、そのコピーを作ることは極めて容易なことでしょう。どれだけ多くのコピーが必要であっても、するべきことは、単にテキスト全体を「選択」して、「コピー」ボタンを押し続ることだけです。

 

この比喩で示唆されることは、いかなる 「学習」のプロセスも、通常、極めて骨が折れるもので、複雑である一方で、いったんあることが学ばれたら、その後は、学習者は、プロセス全体を無意識化して、自分がそれをどのように学んだかを忘れてしまい、同じ学習済みの結果をいとも簡単に即座に達成し続けることができるようになります。ここで皮肉なことは、自分が学習したことをどのように学んだかを意識的に考え始めたら、学習者は、すでに学習済みのパフォーマンス レベルを提示することができなくなる場合があるということです。」

 

ここでは、二つの可能性があると思います。

 

一つ目は、靴の紐の締め方は、意識的になり始めたら、紐を締めることが難しくなるケースです。

 

二つ目は、すべて無意識的に行なっている天才の方は、構造上、絶対にそれ以上の天才になれませんが、自分の学習の一部を意識化して、再度異なる学習パターンを再インストールする場合、必然的に、一時的にパフォーマンスが落ちるケースです。

 

すなわち、今の自身の天才性に満足している場合は、「自分が学習したことをどのように学んだかを意識的に考え始める」必要はない一方で、もっと上の天才性を目指す場合は、一時的なパフォーマンスの低下を受け入れる必要がある、ということになります。

 

これは、「今の自分を部分否定することによって、さらに大きな自分になる」ということを意味しますが、このことは、私が提唱している「認識的拡張主義」と繋がっています。

 

 

CL: 3)「パターン中断」をする時のコツは何かありますか? 好きな時にパターン中断をして、柔軟性と選択肢を意識して、また元の演習や動きに戻るだけでも効果はあるものでしょうか?

 

 

TK: これは、興味深い質問です。

 

思うに、「パターン中断」とは、誰も予想できないような行動選択肢を取る、とうことなので、おそらく「コツ」はないと思います。

 

言い換えれば、「パターン中断」は、「守破離」の「離」の部分のことですが、「守破」の部分が完璧までにマスターしている者だけが「享受」できる「教育者三昧」において「冥利に尽きる」「匠の技」あるいは「教育者特権」ではないか、と思っています。

 

「守破」を極めた人なら、「好きな時にパターン中断をして、柔軟性と選択肢を意識して、また元の演習や動きに戻るだけでも効果はある」ということになります。極めていない人の「パターン中断」は、自己満足に終わってしまう可能性があると思います。

 

以上、よろしくお願いいたします。

 


 

「FAQ7: 北岡ワーク クライアント感想」では、北岡のクライアントの杉野優さんの、CD-ROM ブック『CYBERBOOK: 悟りのための統合的認識論』の読書感想と北岡のコメントを、質疑応答の形で、紹介させていただきましたが、その際に誌面から割愛されていた質疑応答の内容が極めて興味深いものになっていましたので、以下に、単体の FAQ として追加引用させていただきたいと思いました。

 

* * * * * * *

 

クライアント (CL): 「メタ心理学ワーク」についての「FAQ」も、『サイバーブック』並の内容でありました。ワークを受けてようやく教材の一部だったことに気がつきました。

 

 

北岡 (TK): はい、「『メタ心理学ワーク』についての『FAQ』も教材の一部」というのは、その通りです。

 

というか、もっと言うと、実は、24 時間私が考えていることも、どのメディアでどの形態で発信していることも、あることの「アイソモルフィック メタファー」です。

 

その「あること」とは、

 

「『絶対的神的意識/プルシャ』である主体としての神が『現象界/プラクリティ』である客体としての『此岸/娑婆の世界』で自己表現したらどうなるか」

 

です!!!

 

言い換えたら、

 

「『スピリット (魂)』としての主体が『マインド (心)』の助けを借りて『ボディ (体)」で何を表現するか』

 

です。この場合の「マインド (心)』の助け」は、「完全 4Te のカリブレーションである」と、上 (北岡の無意識) が言っています。それだけではないようですが。

 

さらに、たぶんですが、「悟り」とは、

 

「150 億個の脳神経細胞のたった一つから、24 時間 86,400 秒、あるいは、生きていても死んでいても、永遠に『Think from』し続けること」

 

と定義できるのではないかと思いました。この場合、たとえばですが、「不動心」の状態からぶれることは、いっさいなくなりますよね。

 

この「悟り」の定義は、「アイソモルフィック メタファー」の一例ですが、私は、この状態が、万人が、あるいは、「生きとし生けるものすべて」が、最終的に求めているものではないか、と思ってきています。

 

 

CL: おっしゃっていることは、改めて、すごすぎますよね。

 

自分が子どもの頃から、その輪郭だけをぼんやりとだけ捉えていて、言葉にできなかった重要なイメージがありました。それが、北岡先生の言語化された一連の回答によってこんなにも明瞭になっている状況への激震に、昨日はまるで言葉になりませんでした。

 

またそれを伝達する共通言語、再現するツールとしてNLPが有機的に機能していることに気づき、NLP自体への考えが改まりました。NLPが「現代密教」と呼ばれ、つまり顕教となる前の状態にある理由も、なんとなくですが掴めてきまたようです。

 

[北岡注: 「NLP は現代密教である」というのは、北岡独自の定義です。]

 

今自分の専門性の本を読んでいるのですが、それを顕教としたときに、その文章の背後にある密教を探れるのではないかと思いました。また、モデリングする対象先のプログラミング背景 (「サムスカーラ」【注: 印哲で言う「アンカーリング」】) にもっと迫れるのではないかと思いました。

 

 

TK: 「改めて、すごすぎますよね」を含む、上記のコメントに深く感謝いたします。

 

これはすでにお伝えしたかもしれませんが、14 年間務めてきている弊社副社長の辻の言葉だと、「貴方 (北岡) が過去 40 年間やってきていることは、仏陀、キリスト級の悟りの達成だったかと思うが、一番難しいのは、悟った後その方法論を衆生に伝えることです。仏陀、キリストは、その普遍的な方法論を伝えきれなかったかもしれないが、貴方の『メタ心理学』メソッドは、まさにその方法論かもしれませんよね」ということです (驚/笑)。

 

ということで、私は、もしかしたら世界の宗教界が驚愕するかもしれない一連の世紀的な発見をしてきているのでは、という自負があります。

 

たとえば、私の独自開発の「Meta Meta Work」、「RPG ゲーム」、「明鏡止水ワーク」その他は、「ボディ/マインド/スピリットの整合」を可能にする未曾有のテクニックだと思っていますし、さらには、「メタ (観照者)」を、一つの「完全純粋観照者」ではなくて、「現象界寄りの鑑賞者」から「神寄りの観照者」まで無限のグラデーションがあると定義し直した上で、これらのメタ心理学メソッドは、現象界意識の中にいる自分が神的意識に向かって上昇していって、最後にはほぼ神になるプロセスを (徐々にであれ) 歩むことが可能になっています。

 

つまり、言い換えれば、NLP では「レモンの味を知らない者は、アンカーリングでレモンの味を再現できません」でしたが、メタ心理学では「たとえレモンの味を知らない者でも、『ボディ/マインド/スピリットの整合』ワークで、最終的にはレモンの味を再現できるようになった」という次第です。

 

私の最大の問題は、私のワークをまともに査定/査読できる専門家の方々がいないことである、ということが最近判明したのですが、もしそういう専門家の方がいて、私の左脳的主張内容と右脳的体感および体験が、他の人によって再現/複製できるということが証明できた時点で、「宗教界のパラダイム シフト」を引き起こすことができるのでは、と思っています。

 

少なくとも、杉野さんは、私は、虚言症や誇大妄想症やサイコパスではなく、いたって論理的、理性的な人間であると同時に体感型の右脳人間でもあり (笑)、かつ、先に自身が言及された「リンゴと少女」の比喩のように、上記のパラダイム シフトが起こるまでの手順を事細かに分析/解説し終わっている、ということはおわかりだと思っています (「ボディ/マインド/スピリットの整合」と「神になること」を可能にするために、この全手順を一つ一つ着実に踏んでいけるかどうかは、私の問題ではなく、その手順を踏む本人の側の問題です。少なくとも、「三日坊主」では無理ですね (笑))。

 

【北岡注: 杉野さんが、FAQ7 で、北岡に伝えた「リンゴと少女」とは、以下のような比喩でした。

 

「『一切れのリンゴを食べてみたい』と言う、貧しい村の少女のもとに、ある旅人がやって来ました。旅人は『私の話を聞けば、一切れのリンゴを食べられる』と少女に言いました。少女は大喜びです。

 

すると旅人は少女に『いつどこでリンゴはなるのか』と話しはじめました。次の日には『リンゴの木はどのように育つのか』、また次の日には『リンゴの好む土・水・空気とは』、さらに次の日には『美味しいリンゴの育て方』を語りました。そして最後の日に旅人は『この種はだれが植えますか?』とだけ問いかけて、一粒のリンゴの種を少女に手渡すと村をあとにしたのです。

 

それから少女は、リンゴの種を土に植えて、旅人が話してくれたとおりに、リンゴの木を大切に育てました。そしてある年に実った美味しいリンゴを、村人たちみんなで分け合って食べたといいます。 (この物語の旅人のモデルは、とある「メタ心理学者」の先生です…。」】

 

 

CL: 「あること」のお話を聞いてから、『サイバーブック』の見え方がまた変わってしまっています。すぐに思い出したのは、「すべての人間学習は習慣形成である」の項にあった「人々は通常、『日常生活』に埋没して、『この地上はまさに蓮の花咲く極楽』であり、『この自分の体はまさに仏陀』であることを認識できなくなっています」の一文です。

 

仏教では現世利益を語られることもありますが、その本質的かつ最大の功徳と呼ばれるものは「六根清浄」にあると聞いたことがあります。

 

「六根」とは「眼・耳・鼻・舌・身・意」(五感+マインド) の働きのことですが、それは「完全 4Te のカリブレーションである」に通じることではないかと思いました。

 

以上のことからの言い換えとしては、

 

「『仏〈スピリット (魂)〉』としての主体が『清浄な六根〈マインド (心)〉』の助けを借りて『娑婆=寂光土〈ボディ (体)〉」でどんな花咲く蓮を表現するか』

 

と私の参照枠からの理解を進めています。

 

そして「悟り」の定義から、自分個人としては何から「Think from」するのかを定めることが重要ではないかと思いました。もしかしたら、それは自分が (だれもが) 潜在的に求めている理想の状態を常に磨き表すようなものかもしれません。その方法論としてNLPのテクニックが活用できるとしたら、と考えると、NLPは全く異なる次元のものになります。

 

別角度の理解では、人の「アイソモルフィック メタファー」から「Think from」している「何か」を、それを「意図」として見つめることが大事だと理解しました。NLPではコミニュケーションの上で、自分と他者の「意図」を確認することを教わりましたが、その意図の生まれる背景は想像以上に奥行きのあるものだったのです。

 

「不動心」は自分個人のみのものと考えれば、それはまた揺らぎやすいものですが、「生きとし生けるものすべて」が求める状態を享受している自分が「今ここ」にいることだと自覚できたら、自分と環境との一体感とともにどんなに安穏とした境地を感じられるでしょうか。右脳的なイメージであるものの、これは「悟り」の一例を自分で初めて説明できたような感覚があります。

 

さっきからメタファーとして同じようなことを繰り返し書いているような気もしますが、きのう「メタ心理学」の視点変更のワークをたくさんやって柔軟性が増しているはずですと、言い訳させてください。

 

この理解にともなった、より豊かな自己表現をしていこうと思います。

 

 

TK: コメントに感謝いたします。

 

非常に興味深い哲学的考察とマッピングだと思わせていただきました。

 

よろしくお願いいたします。